救急の切り札!三重県津市の“空白地域”を守る、機動的救急隊「M.O.A」に密着
その先にあったのは、その地域を担当する救急車。無線内容を聞きながら、出動する救急車をいち早く察知していたのです。 その後、「南と美杉と久居(の救急車)出た」と、素早くM.O.A隊員と情報を共有。次の通報に備えました。
その後、取材チームが小野さんへのインタビューしている最中、救急車の“救急空白地域”から119番通報が。小野さんらM.O.Aはすぐさま準備を整え、現場へと急行しました。
“日中勤務”で働き方改革
救急の空白を埋めるため、市内を駆けまわるM.O.A。そのハンドルを握るのは、ベテラン救命士の小菅 聖志さん。実はM.O.Aの隊員になる前は、津市の中消防署で署長を務めていたという異色のキャリアの持ち主。
定年まで署長を務め、今年4月、約20年ぶりに救急現場に復帰しました。今年61歳を迎える小菅さん。「病院行ったらびっくりされるもんな。昔、お世話になった先生に会うと『まだ乗ってんの!?』って」と周囲の反応を明かしました。
M.O.A発案者の小野さんも、約13年間、救急の現場から離れていました。その理由は、2人の娘の出産と子育て。 通常、救急隊は朝8時半に出勤すると、仮眠を取りながら翌朝8時半まで出動に対応する24時間勤務です。一方、M.O.Aの隊員の定時は、事務部門と同じ午後5時15分。
その理由について、小野さんは「救急車の出動は、日中と夜間がだいたい半々という統計も出ていたので、“日勤救急隊”ということで(勤務しています)」と、自身の勤務スタイルと併せて話します。 午後5時15分、勤務を終え、帰路につく小野さん。その道中、救急の現場から離れていた間に抱えていたもどかしさを明かしてくれました。
「救命士という資格を持っている以上は、(出産から)何年後かには救急車に乗って、市民の役に立ちたい気持ちはずっとありました」と当時の心境を明かす小野さん。続けて、「なかなか救急車が到着しない状況が生まれていることは、危機感を感じていました」と救命士としての思いを話しました。