輪島を諦めない 朝市再建を目指す食堂店主の1年 能登半島地震、豪雨災害の爪痕と生きる「いつか、若者が戻れる町に」
■祖父と考えた「Hanonカップ」 寄り添う2羽のフクロウに込められた意味
喜三翼音さん(当時14)が亡くなった約2カ月後。11月に東京都内で開かれた「出張輪島朝市」のブースに、ある商品が並んだ。 「Hanonカップ」。漆器のマグカップに、2羽のフクロウが寄り添う絵がほどこされている。輪島塗の蒔絵(まきえ)師でもある翼音さんの祖父・喜三誠志さん(63)が手がけた。 震災後、翼音さんは誠志さんの「出張輪島朝市」を手伝っていた。 前年に紙さんの店で手伝った経験がいきたのか、接客がとても上手だったという、翼音さん。 「いつの間にか、呼び込みから何もかもすべて自分でやるようになっていた」と誠志さんは目を細めた。 紙さんが教えていた、「シャバに出て役立つこと」。翼音さんは実践していたのだろうか。 そう問う私に誠志さんは「それもいい経験になったと思う」と答えた。 「頼もしい存在になるなと思っていた。私たちのお店の、看板娘になるなと」 お店の看板娘にーー。 誠志さんが思うほど、翼音さんは成長をみせていた。そんな翼音さんが、「私が売ってあげる」と誠志さんに伝えたのが、あのカップだった。 それまで、誠志さんが描くものに興味を示したことはほとんどなかったという。祖父が描くフクロウを見て「これ可愛い。でも翼音だったらこういう風に描きたい」 祖父が描いていたフクロウに、孫のアイディアが加わっていった。翼音さんは、フクロウの数を2羽にすることにこだわった。 「カップルにも親子にも、きょうだいにも見える。使う人次第でいろいろな考え方ができるからと」
■売り出された初日、豪雨災害で帰らぬ人に
二人で考えぬいたカップが出来上がった。しかし、店先に商品が並ぶ様子を翼音さんが見ることはかなわなかった。 最初に売り出したのは、能登半島に激しい雨が降り注いだ、あの日だったからだ。 「キッチンカーなんてやめようと思った」。翼音さんの一報を聞いて、紙さんはそう思ったという。 「朝市で若い子どもらが商売できる環境を整えたいと思ってやってきたのに、その子どもが亡くなった」 やったって、意味がないーー。 現実は、時に皮肉だ。 紙さんがそう思ったころ、それまで認められていなかった、キッチンカー購入のための事業者向けの補助金が、県から下りたという通知が届いた。 12月。紙さんのもとに、中古のキッチンカーが届いた。 淡いブルーと薄いベージュが合わさった小さな車体を前に、「俺に似合わんね」とはにかんだ。 私は、「Hanonカップ」を一つ購入し、紙さんに届けた。ブルーとピンクの小さなフクロウが寄り添っている。 「あの子のような、優しい感じがするね」 愛おしそうにカップを手にして、紙さんはそう言った。 一度は「やっても意味がない」と思ったが、紙さんは、キッチンカーを使った営業再開を目指すことにした。心の支えになっていることがある。それまで店に来てくれていた、若者たちとのやり取りだ。 「(朝市)さかばで習ったことが、自分にめっちゃ役立っています」 「子どもが生まれたら、あやしてね」 そんなやり取りのラインを、見せてくれた。 「夏祭りはあるか、と(働いていた)子どもがラインで聞いてきた。なくなったらそれもできん」 2024年の正月に起きた能登半島地震から、1年が経った。 甚大な被害からの復旧もままならない中で起きた記録的豪雨は、復興に向けて歩みだそうとしていた人々の心を折り、傷をさらに深くした。 震災と水害という二重災害がもたらした深い爪痕は、残されたままだ。 海も山も、変わり果てた。それでも、輪島を離れず、つらい現実と向き合い続ける紙さん。 なぜ、そこまで頑張れるのか、私は聞いた。 「輪島が好きやし。終わらせたくもない」 涙が出そうになるのをぐっとこらえて、そう話した。 (取材:今村優莉、撮影:井上祐介)
テレビ朝日