大衆ラーメンから高級天ぷらまで! 「カウンター形式の料理店」が日本文化に深く根付いた根本理由
カウンター料理店の先進国だった米国
カウンター料理店は、19世紀の米国で発展した。その代表例はダイナーである。 ダイナーはもともと移動式の食堂であり、省スペースを目的としたカウンターのみの店舗から始まった。その後固定式の店舗となっても、ダイナーのカウンターは残存する。省力化のためである。 この頃の米国は慢性的な人手不足に悩まされており、カウンター形式のような、ウエーター・ウエートレスを必要としないさまざまな仕組みが導入された。 マクドナルドのような、客がトレーに料理を乗せて運ぶ方式は、19世紀末にバルチモア・デーリー・ランチというチェーン店が採用している。同じくトレーを使う、社食や学食でおなじみのカフェテリア方式も、19世紀末のチャイルズレストランというチェーン店に導入されている。 日本の回転ずしの先駆けともいえる、料理をベルトコンベヤーで回すメリーゴーラウンド食堂(Merry-Go-Round Cafes)も、1930年代の米国において既に登場していた。 さて、カウンターに座る客の目の前で加熱調理するためには、三つのインフラの普及が前提となる。 ・水道 ・ガス ・電気で動く換気扇 である。
換気扇が生んだカウンター料理店
水道とガスと換気扇が普及する前の日本の台所は、 ・陶器またはおけ製の水がめ ・まきを燃やすかまど ・木炭を燃やすしちりん から構成されていた。 これは江戸時代の台所の絵だが、左奥にかまど、右奥に水おけと水がめがある。このような大がかりな調理装置ではカウンター内におさまりきらない。水道、ガス、換気扇をコンパクトにまとめた、いわゆるシステムキッチンが必要だ。 この三つのインフラのうち、最も普及が遅れたのが換気扇。大正時代に換気扇が普及することで、カウンターでの加熱調理が可能となったのだ。 明治時代の天ぷら店の揚場(あげば)は、入り口の横に路面に向けて設置され、窓を開けて路上に油煙を排煙していた。そうしないと店内の客が油煙で薫製状態になってしまうからだ(露木米太郎『天婦羅物語』)。 カウンターの客の目の前で天ぷらを揚げるようになったのは、換気扇で強制的に油煙を排気できる大正時代になってからなのだ。