政界揺るがす“勝負師”小池百合子氏とは 坂東太郎のよく分かる時事用語
第2次安倍政権が成立して以降、小池氏は党広報本部長に任じられるなど役職についていないわけではないのですが、大臣や党三役のような重要ポストから遠ざけられてきました。安倍氏とは、第1次政権では蜜月であったものの、08年の自身の総裁選立候補や12年の谷垣氏不出馬から石破氏支持に至った総裁選で溝が生じたと観測する向きもあります。そうした中、2016年の東京都知事選に国会議員の椅子を捨てて無所属で立候補し、自民推薦候補らを破って当選。16年の都議選では地域政党「都民ファーストの会」をつくり、最終的には代表として(選挙後に辞任)大勝を収め自民党は惨敗を喫しました。そして今回の「希望の党」による国政進出です。 小池氏の本心やいかに。都知事選の主敵は自民党東京都連で首相への批判は避けてきました。今回の総選挙では、さすがに安倍政権との対決こそ打ち出すも、国会議員でない都知事のままでは小池代表が首相候補になれないので「希望の党」が勝ったら誰を推すのかハッキリしないままです。小沢氏の手法を間近に見ていたので同じように自民党へ手を突っ込むのか、自らの党が野に追われた「自社さ」政権のごとく「安倍退陣」を前提にした自民党と大連立か、はたまた都知事選の時のように公示日直前に自ら立候補するのか。公明党との関係は? などなど、動向に目が離せないのは確かです。
《小池氏語録》「そなえよ つねに」が信条
(1)1992年8月、日本新党から出て参議院議員に当選して初登院の時。グリーンのサファリジャケットにヒョウの紋様をイメージしたミニスカート姿で現れ「永田町には猛獣や珍獣、それにタヌキもいらっしゃると聞いたので」と説明した。(毎日新聞92年8月7日付) (2)1993年6月、総選挙に参議院から鞍替え立候補を表明した際に「日本新党のチアリーダー」を自任していたが「これからは政治改革のチアリーダー役を果たしたい」。(読売新聞93年6月29日付)。 (3)2003年9月、小泉再政権で環境大臣へ就任。産経新聞9月23日の「寸評」によると、ガールスカウトのモットーである「そなえよ つねに」が信条。「正真正銘のタカ派」を自任する。 (4)2005年6月、自ら提唱する「クールビズ」について東京都江戸川区の小学校で「みんなのお父さんで会社に行く時、ネクタイをとるようになった人、いる?」と話を向けると、「うん。それって、クールビズでしょ」と元気な声が返ってきた。(朝日新聞05年6月21日付) (5)2005年8月、「郵政選挙」公示に愛知県で。「私は選挙区を変えた。心をいったん決めたら、有権者に迫力を持ってこの改革をお伝えする。比例の第1位も断った。私がゼロから打って出た新党(日本新党)時代と同じ風を感じる」。(朝日新聞05年8月29日付) (6)2007年8月、事務次官をバトルの末に退任させ自らの防衛大臣お別れ記者会見で。「女子の本懐という気持ちだ」。さらにマッカーサー元帥の言葉を引いて「国防についてはアイ・シャル・リターン(私は必ず帰ってくる)という気持ちで頑張っていく」。(産経新聞07年8月28日付) (7)2008年9月の自民総裁選立候補における会見要旨。「目指すのは、日本社会の仕組みを変えていくこと。一方で、守っていくべき伝統、家族のきずな、地域の連帯をしっかりと守っていきたい」「永田町のDNAを持ち合わせていないし、しがらみがないから、国民にとって何が必要かということを断行できると思っている」。(毎日新聞08年9月9付) (8)2016年7月、都知事選出馬表明で。「退路を断つのが私の生き様」「崖の下にパラシュートなしで落ちる覚悟」「しがらみなく都民の目線で戦える」。(毎日新聞16年7月7日付) (9)2017年9月の「希望の党」結成の記者会見で。「(これまでの議論は)リセットし、私自身が直接絡んでいきたい」。読売新聞のインタビューで「政権を取りにいく。全国から支持を得られる自信がある」「候補者は全国から次々と手が挙がっている」。(読売新聞17年9月26付)
----------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など