政界揺るがす“勝負師”小池百合子氏とは 坂東太郎のよく分かる時事用語
時の権力者の傍らで 細川、小沢、小泉氏……
2005年8月8日、小泉首相の持論、郵政民営化関連法案が参議院で否決されました。首相はかねて言及していた通り衆議院を解散します。世にいう「郵政解散」です。この際、衆議院本会議(可決した)で法案に反対した自民党員は公認せず、賛成する候補をぶつけると明言。俗にいう「刺客候補」の擁立となりました。 その第1号が小池氏。10日には何の地縁もない東京10区で立候補する意向を表明しました。同選挙区の小林興起候補は衆議院で法案に反対していたからです。「刺客」は続々と続き、最初は自民分裂で敗北濃厚とみられていたのが「小泉劇場」に熱狂した国民が支持して総選挙で自民圧勝。小池氏も10万票以上の得票で快勝しました。
小泉首相後継の安倍晋三内閣でも国家安全保障問題担当の首相補佐官に任じられました。久間章生防衛大臣の「原爆しょうがない」発言が批判されて辞任したのを受け、07年7月から後任に。ここでも黙っている小池氏ではありません。長きにわたって防衛庁(07年から防衛省)事務方トップに君臨し「防衛庁の天皇」と呼ばれていた事務次官を更迭しようとして激しいバトルへ突入し、首相が次官退任を決定。小池氏も「責任を取る」として改造人事で再任を断りました。退任した事務次官と同じあだ名で呼ばれた海原治氏との因縁も感じさせます。 以上のように小池氏は細川、小沢、小泉といった有力政治家各氏の傍らにいて第1次安倍政権でも重用されました。ただ「政界渡り鳥」というのは少々気の毒かもしれません。実力者による再編劇や政争で生まれては消える政党に身を置き、処世してきたというのが正確でしょう。
首相への野心は? 総裁選で落選経験も
2008年9月、福田康夫首相(自民党総裁)辞任にともなう総裁選に、小池氏は町村信孝派(森派から継承)から立候補しました。もっとも町村派は森→小泉→安倍→福田の4代に渡って総裁を輩出し、特に安倍、福田両氏が短命で終わったため領袖(親分)の町村氏らは他派閥の麻生太郎候補を応援します。安倍氏も同調。結果は麻生氏の大勝でした。 09年総選挙で民主党が圧勝して自民党が野党へ転落しました。小池氏も大逆風に抗せず小選挙区で敗北、重複立候補していた比例区でかろうじて復活当選するありさま。小池氏は派閥を離れて「首相になれない」自民党総裁選で谷垣禎一候補を応援し勝利しました。野党暮らしの中、2010年には党総務会長に就任。自民党三役(他は幹事長と政務調査会長)に女性が就くのは初めてです。 民主党政権末期の12年9月の総裁選で谷垣氏は立候補断念に追い込まれ、当初は「出ないであろう」とみられていた安倍氏が出馬。小池氏は最大のライバルとみなされていた石破茂候補を応援するも惜敗。安倍総裁で挑んだ12月の総選挙で自民党が政権を奪い返して安倍首相が再登板を果たし今日に至ります。