政界揺るがす“勝負師”小池百合子氏とは 坂東太郎のよく分かる時事用語
「崖から飛び降りる覚悟で」――。昨年夏、東京都知事選への立候補の意志をこう表明して当選して以来、小池百合子氏の動きは、都政から国政へと影響の幅を広げています。数々の「女性初」を得てきた小池氏は異色の経歴の持ち主で、いくもの政党を渡り歩き、時の有力政治家の側で政治の激流を見てきました。都政に専念すべきとの声もある中で、国政政党を立ち上げて臨む衆院選に向け、再び動向に注目が集まっています。“勝負師”とも称される小池氏はどんな人物なのか、あらためて経歴を振り返りました。 【写真】「意思決定がブラックボックス化」の指摘も 2年目を迎えた小池都政
エジプト留学、キャスターから国政へ
石油関係の貿易商を父に持つ小池氏は産油地帯の中東への興味が幼い頃から強かったようで関西学院大学を中退して最終的には1976年にエジプト国立カイロ大学を卒業しました。その頃、第4次中東戦争(1973年)が発生し、日本も石油危機に見舞われます。多くの政治家や財界人が当地を訪れた際にアラビア語通訳者として活躍しました。大卒の若い女性がいきなり日本の大問題に関して通訳とはいえ要人同士の交渉に関わったのです。 帰国後もリビアの独裁者カダフィ大佐の会見を実現させるなど持ち前の度胸とフットワークを存分に発揮。79年から日本テレビの「竹村健一の世相講談」アシスタントを務めました。竹村氏不在の折りにメーンを務めた元防衛官僚の海原治氏ともここで出会います。海原氏は自衛隊創設に関わり「防衛庁の天皇」とあだ名された実力者でしたが、自民党内の権力闘争に巻き込まれて失脚し、軍事評論家へ転身していた人物です。小池氏の安全保障に関するこだわりは中東の混乱や海原氏との邂逅(かいこう)あたりが源流なのかもしれません。 88年からはテレビ東京系の経済情報番組「ワールドビジネスサテライト」の初代メーンキャスターに抜擢されて好評を博しました。92年5月、熊本県知事を辞めた細川護煕(もりひろ)氏がたった1人で「日本新党」結成を発表した後に番組へ登場。小池氏の政界進出の分岐点となります。 この時点で既に小池氏の経歴は異彩を放っていました。新聞社やテレビ局の正社員・職員でもなく完全フリーで人気番組のメーンを張っていた女性などほとんどいなかったのです。80年代後半でさえ、正社員ですら「女性記者」と「女性」を強調されていたような時代でしたから。