なぜ“フラッグフットボール”が子供の習い事として人気なのか? マネジメントを学び、人として成長する競技の魅力
南関東と関西での2極化の現状。「まずは鬼ごっこの延長で…」
一つFFFCの特徴と言えるのは、フロンティアーズが日本トップのアメリカンフットボールチームとして存在していることだろう。毎年、お正月(1月3日)に東京ドームで行われるアメフト日本一決定戦「ライスボウル」には、チーム揃って観戦に出向いている。近年はFFFCの選手が、エスコートキッズとして一緒に入場する取り組みも実施。そんな、国内トップ選手の姿に、未来の自分を重ねるフラッグフットの子どもたちも多い。 「フロンティアーズに入りたいと話すメンバーもいて、『あそこに行くにはもっと頑張らなあかんぞ』などの話はよくします。指導のうえで気をつけているのは、「楽しむ」と「厳しさ」の両立。競技を楽しむため、厳しさは当然必要。結果が出る出ないにかかわらず、「日本一を目指す」という高い目標を掲げることで人は成長する。競技を通じて一流の人間になる、当たり前のことを当たり前にできる人間になってほしい。そこは意識していますね」 アメリカンフットボールでは日本一3連覇。フラッグフットでも強豪FFFCを擁する富士通。だが、今はフラッグフット人気も高まり、競争チームが増えた結果、あまり勝てなくなったそうだ。アメフトとフラッグフット、その両方の発展を願う今井は、現状をこう話す。 「注目が高まっている実感はありますね。ただ、やはり南関東と関西で2極化しているのが現状。競技者自体は徐々に増えていますが、北海道や東北とか北関東にもチームができるといいですよね。アメリカンフットボールより気軽に始められるのが、フラッグフット。まずは気楽に、鬼ごっこの延長で、楽しんでもらえたらと思います」 結果を出すのが難しくなった中でも、高まる人気に、今井は半ば嬉しそうに笑う。
フラッグフットボールが「人間形成の第一歩だった」
今年1月のライスボウルで、日本一に輝いた富士通フロンティアーズ。パナソニックインパルス相手に、同点に追い付かれる展開の中、ワイドレシーバーの神優成へのパスが要所で決まり、試合をリード。見事3連覇を達成した。この神も、富士通フラッグフットチーム『FFFC』卒業生だ。 多くの選手が他競技を経てアメフト選手になるように、神もまた小学1年生で、父の影響もあって野球からフラッグへ転向。最初は、固定のポジションはなかったが、小学校4年生ぐらいでレシーバーとしての地位を確立。小学5年生で、日本一に輝いた。当時を振り返ると、「基本的な人としてのマナーを教えてもらえたことが良かった」と話す。 「ユニフォームを着て活動しているので、 自分が間違いを犯したら、チームに迷惑がかかる。その連帯感は良かったです。あとは環境。厳しく指導してくれる大人が結構いたのは、僕的に大きかった。厳しかった父含めて、自分が間違っているところを正してくれた。今思えば本当に、人間形成の第一歩だったと思います」 そう語る神は、ゴミをその辺に捨てて、「めちゃくちゃ怒られた」記憶を語る。「礼儀正しくというか、人としてやらなければいけないことを教えてもらった気がします」 以降、神は中学ソフトテニス部に所属するも、高校からはアメフトに路線を変えて、以降はワイドレシーバーとしての地位を確立。法政大学でも活躍すると、社会人では富士通への所属を第一希望とした。 「(富士通のチームに)帰りたい。その気持ちは、自分の中でもありましたね。当時はクラブハウスも一緒で、小学生も同じところでミーティングしていました。なんか臭いロッカー(笑)の匂いも、結構覚えてて。その中でミーティングして、練習して。終わったら大人の選手がミーティングしてる。そんな感じだったので、憧れもありましたし、どこか、距離が近い感じがしていたんです」 当時、共に活動していたフラッグフット時代の仲間も同様に、富士通フロンティアーズに戻ってきていた。「僕の上だと近田優貴さん。高津佐隼矢さん。あと髙岡拓稔さんもフラッグで一緒にやっていて、下で言うと野沢研とか北川太陽とか。僕の世代前後で帰ってきている選手は多いですね」。 大学時代は多くの選手が日本代表に選ばれるなど、大人になっても実力的に日本トップクラスの選手を生み出せている。それは「幼少期からの積み重ねは確か大きい」と神は話してくれた。