【高校ラグビー】高校日本代表候補FL申驥世主将、朝鮮高ではなく「憧れ」の桐蔭学園で果たした日本一
◇全国高校ラグビー大会決勝 桐蔭学園40―17東海大大阪仰星(2025年1月7日 花園ラグビー場) 2大会連続22回目の出場となる桐蔭学園(神奈川)が40―17で東海大大阪仰星(大阪第2)を下して5度目の優勝を果たし、2度目の連覇を達成した。 昨季も主力だった高校日本代表候補FL申驥世主将(しん・きせ、3年)は、ノーサイドを迎えると仲間と抱き合った。2大会連続でピッチの上で極めた頂点。だが、この1年間は主将として苦労を重ねてきた分、より感慨深いものがあった。 父・ハンソルさん(47)の影響を受けて5歳からラグビーを始めた。当時から体は大きく、最初に通っていたスクールでは「本気を出さないで」と言われた。より強いチームを探し、世田谷RSで力を磨いた。 一方で両親の実家が関西にあったこともあり、小学生の頃から必ず1月3日は花園に通った。朝早くに到着し、第1グラウンドで準々決勝4試合を全て観戦。さまざまな高校に触れ、自然と聖地への熱が帯びる中、驥世少年が最も憧れたのが桐蔭学園だった。 「朝一番から花園に行って、第1試合から第4試合まで見て。その中で、桐蔭学園を気に入ったんですよね」とハンソルさん。東京朝鮮中時代、高校の進路を模索した。父がラグビー部コーチを務める東京朝鮮高、そして大阪朝鮮高への思いもあったが、最後は「桐蔭学園に行きたい」と打ち明けてきた。息子の抱いてきた憧れを知っていたから、父は反対しなかった。 「何も考えていなかったら別だけど、昔から大人びていて、会話ができる子だった。考えが深くて、自分で考える子だったので“大丈夫”かなと」(ハンソルさん) 入学後すぐに頭角を現し、昨季も主力として優勝に貢献した。だが、新チームになって主将になると苦悩が待っていた。2年時に試合に出続けたことから体が疲弊し、当初は満足に試合に出場できない状態が続いた。さらにチームのスローガンや方向性をリーダー陣で決めて藤原監督に持って行っていても「甘い」「違う」と何度も突き返された。 何度も考え、朝練の時に選手たちで話し合いの場を持とうと考えた。だが、その集まりに数人が来ないことがあり、温厚な性格の驥世も「いい加減、真剣にやろう」と初めてチームメートに怒りをあらわにした。悩んでも答えが出なかった時は、父子で銭湯に行った際に「どうすればいいかな?」と父に相談することもあった。 自宅から桐蔭学園に通い、朝練のために午前5時に起きて6時前には家を出る。2年時の終わり頃からは学習塾にも通い、授業後の練習と塾が終わって家に帰ってくるのは午後10時。そこから自宅でも勉強して午前0時頃に就寝し、また翌朝5時に起きて朝練へと出掛ける。その生活を続けてきた。 チームのことを考え、誰よりも体を張り、その姿が仲間を本気にさせて再び頂点にたどり着いた。春からは慶大に進学予定。次は黒黄のジャージーに身を包み、新たなスタートを切る。(西海 康平)