9月26日に「袴田事件」再審判決 釈放を決めた元裁判官は「冤罪救済に時間がかかり過ぎる」「人権問題を超えて人道問題」
精神的に相当参っていたのは明白だった
――村山さんが静岡地裁で再審開始を決め、巖さんを釈放した10年前に話題を戻します。「捜査機関の捏造の可能性」がなかったとしたら、再審開始の決定は出しても釈放までされましたか。 その仮定には答えにくいですね。合議体の結論で、私個人の思いだけではありません。3人ならどうしたかはわからない。死刑囚の拘置停止はハードルが高く、まず法律の解釈として釈放できるかどうかの議論でした。拘置は「絞首刑を執行する前提として留め置く」というだけで、絞首刑そのものではない。解釈論としては、処刑の前段階として付随的なものである拘置を停止できるかどうか、議論のあるところでしたから。 ――逃亡の可能性がないことと、しっかりした身元引受人(ひで子さん)がいることも大きかったのでしょうか。 決定にも逃亡の恐れはないことを書きました。巌さんの健康問題です。精神的に相当参っていたのは明白でした。当時は一般に拘禁反応だと考えられていたと思いますが、拘禁反応なら拘禁が解かれれば治るというのが常識的な理解で、私も時間はかかっても治ると期待はしていました。しかし、現状は違っていて、元に戻れないくらいのダメージを負ったと考えざるを得ないですね。
東京拘置所で巖さんに会おうとしたが
――前例のない決定へのリアクションはどうでしたか。 東京高裁が4年後に(再審開始決定のみを)取り消した時、「残念だね」と言う人やそっとしてくれる人はいたけど、「それ見たことか」のような反応はなかった。私個人は、取り消しの予想はしなかったけど、(検察の即時抗告から)やけに時間がかっていたので不安でした。静岡地裁の決定は、論点整理した上での結論だと思っていたので、高裁でさらに4年もかかるとは思っていませんでした。 再審開始決定が取り消されて周囲が悄然とする中、それでもひで子さんが「何をか言わんや、50年が駄目なら100年でも戦います」と毅然とおっしゃった光景は鮮烈で涙ぐみました。本当にすごい方です。 ――東京拘置所で巖さんに会おうとされたんですね。 はい。会おうと思って、いろいろ努力したのですが面会拒否でした。その時は気づかなかったのですが、後でこう考えました。巖さんにとって独房は一番安全な場所なのです。そこから一歩でも出ることは「危険への接近」、要は処刑への接近。房の中では処刑されないから出ないのが安全なのです。それで出てこなかったのかもしれないと。