9月26日に「袴田事件」再審判決 釈放を決めた元裁判官は「冤罪救済に時間がかかり過ぎる」「人権問題を超えて人道問題」
「犯人にされたら黙っているしかなかった」
当時の報道については「警察の発表を鵜呑みにして報道していた。新聞、ラジオ、テレビ、すべて巖が犯人であるような酷い報道でございました。当時は新聞もテレビも一切見なかった。無実ですって言いたくても言えない。家族が物申すなんてできない。犯人にされちゃったら黙っているしかなかったのです」。 「熊本さん(一審の静岡地裁の裁判官、熊本典道氏。後年に「無実と思っていた」と告白)が出てこられた時、世間の目も変わりまして、挨拶もしたことない人が挨拶してくれる。それまでは知人も知らん顔して通り過ぎる。社会とは距離を置いて生活していたので、平気で私は図々しく生きていました。再審開始でずっと変わった。『よかったですね』と言っていただき、世間様とお付き合いするようになりました」 「5点の衣類のカラー写真がもっと早く出ていればとの思いは?」と聞かれ、「600点の証拠開示で、弁護士さんも『これは(いける)』という感じでやっていただき、静岡地裁で再審開始になりました(2014年3月)。検察は即時抗告したけれど、(私は)『48年待ってたから、5年や10年延びてどうってことない』と言ってました」と振り返った。 そして最後にこう力を込めると、大きな拍手に包まれた。 「私は巖だけ助かればいいと思っていません。多くの人が冤罪で苦しんでいることがわかりました。再審改正の法律整備も進めていただきたい。48年も拘置所にいたら(巖の精神が)おかしくなって当たり前。そのことで恨みつらみは申しません。冤罪被害者のために再審関係などの法律変更をぜひお願いしたいと思います」
巖さんを釈放した当時の裁判官
巖さんを釈放した村山浩昭氏のインタビューは、シンポジウムの3日後に行った。村山氏は2021年12月に退官した後、「無罪請負人」の異名を取る弁護士・弘中惇一郎氏(78)の法律事務所に入所。東京五輪の贈収賄事件で逮捕されたKADOKAWAの元会長・角川歴彦氏(81)の人質司法を世に訴える訴訟活動も始めている。 ――15回の再審裁判のご感想は? 裁判所は、プランに従って粛々と進めたと思います。傍聴したわけではなく報道の限りですが、予定していた審理、証拠調べはきちんと終わったのでは。検察の立証も必要な範囲で行いましたし、弁護団のほうも圧縮した形でも立証した。期間は短かったですが濃密な審理がなされたと受け止めています。 ――再審は「5点の衣類」の血痕の色調変化が課題ですが、他の面も審理していました。 賛否あると思います。「散々やってきてまたやるのか」とか「請求審で言われなかったことまで引っ張り出してひっくり返すのか」などの異論。でも、現在の再審制度の理解では許される範囲です。 むしろ私は、請求審で何度もやり直すことがおかしいと思います。検察官の抗告を禁止すれば、全体として冤罪救済の期間がうんと短縮される。日本の再審は冤罪救済が唯一の目的であり、不利益再審(無罪判決を受けた被告人について検察が再審を申し立てること)はないですから。