壊れなくなったクルマ 意外に奥深い「ねじ」の話
ところが困ったことにクランクシャフトは大変複雑な形状をしており、シャフトそのものを組み立て式にするか、若しくはコンロッドを分割式にしないと組み付けができない。歴史上、組み立て式クランクは存在した。ホンダは第一期のF-1挑戦期に組立式クランクと転がり軸受けを使っていたが、エンジン重量の増加に悩まされて、結局コンベンショナルなプレーン分割式軸受けを採用した。そんなわけで2016年現在の常識としてはコンロッドを分割式にすることになっている。
問題は分割式の軸受けの真円度を高める方法だ。組立の都合上、分割が必要なのでコンロッドのビッグエンド(大きい方の輪っか状の部分)をボルト締結しなくてはならない。ところが、このビッグエンドの締め付けを従来の締結方法で行っていては必要な精度にならない。ビッグエンドもまた締め付け圧力で微細ながら変形するので、ねじの締め付け力がばらばらだと真円度が運任せになってしまう。変形を見込んで設計生産するためには軸力を精密にコントロールしなくてはならないということになる。
「ねじ切る寸前」に高精度の秘訣
そこで、ボルトの軸力を緻密にコントロールするための研究が行われた。金属素材は固有の強度があり、均一な素材で同一寸法であれば、軸力が一定に達したところで、変形の仕方が変わる。ボールペンの軸についているバネを想像して欲しいのだが、あのバネを引っ張ると伸びる。手を離すと元に戻る。しかしある程度以上の力を掛けると、バネが完全に変形してしまって、元に戻らなくなる。元の形に戻る変形を弾性変形、元に戻らない変形を塑性(そせい)変形と言う。 ねじの軸力を計測しながらねじを締めて行くと、弾性域にある間は締め付けるほど軸力も右肩上がりに増えて行くが、塑性域に入るとグラフが水平になり、軸力が増えなくなる。そのまま締め続けるとどうなるかと言えば、ねじが破断して軸力がゼロに戻る。自分で整備をする人ならば覚えがあると思うが、ねじを締めすぎるとぬるっとした嫌な感覚になる。あれが塑性域に入ったということだ。つまり平たく言うとねじ切る寸前なのだ。ところがそこから破断に至るまではまだ少し余裕がある。この塑性域の中で上手く止めてやることができれば、ボルトの素材と太さで必ず一定の軸力を再現することができるのである。 この特性を使って、コンロッドのビッグエンドの締め付けを行う方法を塑性域角度法という。軸力が増えなくなってから何度回したところで止めると言う基準を作ってやることで、安定した組立精度が可能になる。こうした技術と潤滑理論の進化によって、クルマは壊れなくなった。ねじの世界は奥が深い。 (池田直渡・モータージャーナル)