VTuber文化の広さとグラデーションを表現するために 岡本健×山野弘樹が明かす、『VTuber学』に込めた思い
2016年6月にバーチャルYouTuber・キズナアイがデビューしてから、8年の月日が経とうとしている。長い歳月を経て、VTuberは「流行り物」や「ブーム」を超え、いまや我々の生活にすっかり浸透、バーチャルな存在として受容されている。そして、これらの存在を学問の研究対象として受け止める人びとも。 【画像】近畿大学総合社会学部/情報学研究所教授であり、自らもVTuber・ゾンビ先生として活動する岡本健 氏 岩波書店より8月に発売されたVTuber総合学術書『VTuber学』は、VTuberに対して人びとが向ける関心の度合いを示すかのように注目を集めた。早くも第三刷の重版出来を記録し、大手事務所に所属する人気VTuberもこの書籍に反応するなど、大ヒットとなっている。 『VTuber学』は、VTuberを“学問”の俎上に載せる目的で、研究者を始めとした様々な分野の専門家により執筆されたもの。「VTuberを学問する」というのはどういうことなのか。そして、どういった経緯でこの書籍が企画され、実現したのだろうか。 今回、リアルサウンドでは『VTuber学』の編著を担当した三名のうち、岡本氏および山野氏に話を伺うべく、同じく著者として本書に携わったバーチャル美少女ねむを聞き手に迎え、対談を実施。後編では「VTuber」という文化の幅広さや、両名がそれをどのように書籍に反映したか、そして学問としての「VTuber学」にかける思いや展望にまで話が及んだ。 ●岡本健 1983年奈良県生まれ。近畿大学総合社会学部/情報学研究所教授。VTuber「ゾンビ先生」の中の人でもある。2012年3月に北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院観光創造専攻を修了。博士(観光学)。著書に『ゾンビ学』(2017年、人文書院)、『アニメ聖地巡礼の観光社会学』(2018年、法律文化社)などがある。 ●山野弘樹 東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程在籍。2017年、上智大学文学部史学科卒業。2019年、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻修士課程修了。修士(哲学)。ポール・リクールの研究に取り組むとともに「VTuberの哲学」という新たな学問分野の立ち上げに挑む。著書に『独学の思考法』(2022年、講談社)、『VTuberの哲学』(2024年、春秋社)がある。 ■『VTuber学』の制作にあたって特に気を遣ったこと バーチャル美少女ねむ:取材の時点では出版から2週間程が経っており、おふたりとも安心していらっしゃるのかなと思いますが、制作途中は苦労した点や気を遣った点も多かったのかなと思います。 岡本:そうですね。前編でも少しお話しした通り、「岩波書店から『VTuber学』という本を作る」ということで、かなり慎重に編集を行いました。VTuberシーンはファンがとても熱心な文化です。「学者が何を言っているんだ」「上から目線で自分たちの楽しんでる文化を実験材料にしている」と思われてしまうようなものではいけない。私自身も、ある種この文化のファンなので、気持ちはとてもよくわかります。 なので、「今回の『VTuber学』に書いてあることが絶対正しい、というわけではない」と、本文でもしつこいくらいに書いています。執筆者もみんなそう思って書いてくれていると思います。 バーチャル美少女ねむ:読んでいても、岡本先生がすごく気を遣って設計していらっしゃるんだなと感じました。 VTuber文化の難しいところって、それぞれのコミュニティや文化圏の中にいろんな小宇宙があることだと思うんです。大手企業勢を中心に語られることが多いですが、私も個人勢として書かせていただいたように、個人VTuberもたくさんいて。私は個人勢もいろんな企業や社会と対等にコミュニケーションができるような未来が来るのかなと思って活動してきたんですけど、結果的にあまりそうならなくて。 もっと個人勢をVTuberの世界で大きい存在にできたんじゃないかという思いもあるんです。岡本先生も、そういう思いに配慮した結果として、個人勢の当事者視点で私が執筆させていただけたのかなと思っているんですよね。 岡本:私が大事にしたかったのは、個人勢・企業勢のどちらも「人間がやっていることだ」ということなんです。だから、ねむさんにご執筆いただいて本当に良かったと思っていて。ご自身がどうやって目覚めていくのかといったことが書かれていて、これは面白いなと思いました。 一方で、大坂さんや谷郷さんにインタビューできたことも、書籍の編集の方向性に良い影響をいただきました。キズナアイやホロライブといった、VTuberファンだったらみんな知っているようなVTuberや大きなグループの奥にもやっぱり人間がいて、社長とか代表取締役とかすごい肩書きを持っていても、やっぱりその人たちも血の通った人間なんですよね。 だから、話を聞いてみるとみんなVTuberにすごい可能性を感じていたり、社会を良くするためにこれはいいものなんだと思っていたりする。個人勢、企業勢問わず、業界に携わるいろんな方の思いを伺って、ちゃんと形にできたことは本当に良かったなと思っています。 バーチャル美少女ねむ:インタビューパートは本当に「VTuberといえば」という企業の方々が勢ぞろいしていて、とても面白かったです。Activ8の大坂さんのインタビューではキズナアイちゃんの裏側がだんだん解禁されてきた感じもありました。そんな「裏側も語れるような雰囲気」に業界がなってきたタイミングで『VTuber学』が出せたのはすごいなとも思いました。 岡本:そうですね。私も大坂さんの話や谷郷さんの話を聞いたことで、全体像がより鮮明になったというか、「こういう形で全体をまとめれば、VTuberシーンに関わっておられる方々をこういう風に位置づけられるな」といったヒントをいただけた時間でした。 バーチャル美少女ねむ:あのインタビューのおかげで、VTuberを“立体的”に捉えられる本になりましたよね。本当に多様な観点からVTuberを見ることができる一冊だと思います。 岡本:そうですね。VTuberそのものがすごく複雑で多様な面を持った存在なので、一言で言い表そうとするよりも、様々な観点があって「この立場の人はこう考えてる」というのを、いわば万華鏡的にいろんな角度から見せるということが、VTuberシーンを見るということなんだろうなと思っていて。 くわえて、読者の皆さんのリテラシーにもすごく助けられているなと思います。すごく丁寧に読んでくださっている方が多いというのを、Xの感想を見ていて思うんです。内容を理解しているのはもちろんのこと、この章をこういう風に配置してるのがいいとか、結構メタな視点でも見てくださっているんですよね。 ■表紙のイラストにこめられた「先行研究へのリスペクト」 バーチャル美少女ねむ:メタな読み方というと、先日『VTuber学』のKindle版を購入したのですが、検索機能を使ってみるのも面白かったです。たとえば「電脳少女シロ」と検索すると、どの研究者さんがシロちゃんに興味を示しているかとか、どういう文脈で言及されているのかが分かるのが面白くて。 岡本:『VTuber学』そのものを研究できるわけですね。 バーチャル美少女ねむ:まさに学術書らしい楽しみ方もできますね。 岡本:おっしゃる通り、それって本当に学術書的な楽しみ方なんですよね。書いてあることそのものを理解するのも大事なんですけど、この本ってそもそもどういうものなんだろうとか、書くにあたってどういうデータが必要だったのだろうかとか、メタに考えてみることは学者がよくやることなんです。 この本の意義はなんだろうとか、他の本と比べたときにどうなんだろうという見方は、すごく研究者的ですね。 バーチャル美少女ねむ:また本文では、これまでおこなわれてきたVTuber研究に対してリスペクトする姿勢もあって、引用などもされていたのが印象的でした。 岡本:実は学術的な論文や学術書では、それがすごく大切なことなんです。これまでどんな研究があって、それとどう関係してるのかという経緯を踏まえて、歴史の1ページに自分の研究を付け加えるという発想が大切で。 実は、表紙のキズナアイさんのイラストは、本の上に「キズナアイさんが腰掛けて新しい本を開いてペンでなにかを書いている」という絵なのですが、これはまさにそのことを表現しているんです。これまでの様々な研究、書籍や論文といった知見の上に乗っかって、新しいものを付け加えているという。 バーチャル美少女ねむ:なるほど! キズナアイちゃんが座っている本の数々は、先行研究を意味していたんですね。表紙のデザインが『VTuber学』の思想を体現していたとは。 山野:もうひとつあって、キズナアイちゃんがメインイラストなので、イラスト原案は全体的にピンク色っぽかったんです。でも岡本先生が、色合いでもVTube文化の多様性を表現したいとおっしゃって、オレンジ、青、緑など複数の色合いを用いることにしたんです。 バーチャル美少女ねむ:なるほど。ちゃんといろんなVTuberの多様性を表現したんですね。 岡本:そうです。細かいことをみんなで話し合って、何往復もやり取りをしましたね。表紙を決めたのは内容がほとんど決まったあとだったのですが、本文中で多くの人がキズナアイさんに言及していて、キズナアイさんを起点にVTuber文化が多様に花開いたのが非常に興味ぶかいところでしたので、そこを表現したいと思っていました。