VTuber文化の広さとグラデーションを表現するために 岡本健×山野弘樹が明かす、『VTuber学』に込めた思い
ふたりにとってのキズナアイ
バーチャル美少女ねむ:表紙にキズナアイちゃんがいるのは、初期からVTuberをやっている人であったり、最初期のVTuberファンにとってはめちゃくちゃ嬉しいことだと思います。 一方で、キズナアイちゃんはリアルタイムで活動してはいないじゃないですか。おふたりがVTuberに関わり始めたのも、すぐにキズナアイちゃんがスリープに入ってしまったタイミングなんじゃないかと想像するのですが、おふたりにとってキズナアイちゃんはどのような存在ですか? 岡本:私は、今リアルタイムで活動しているかどうかはあまり考えていなくて。VTuberの現在の文化を作ったきっかけの方であるという受け止め方です。なので、仮にキズナアイさんが完全に引退してしまっていたとしても、表紙を飾るのに最適な存在だと考えたことに変わりは無かったと思います。 私はVTuberを黎明期から見ていたわけではなく、いわば後追いで調査をしている立場になるのですが、過去のことを調べたり皆さんから教えていただいたりしたときに、いろんな方がキズナアイさんの名前を挙げるんです。それを思うと、本当にいろんなところに影響を与えた存在なんだなと思いますし、象徴としてキズナアイさんが表紙というのは何の違和感もないと思いました。 山野:僕自身も岡本先生と同じ意見です。僕も後追いでVTuberを知っていきまして、見始めて少しした頃にキズナアイさんのラストライブがあったというタイミングだったんです。 ただ、今の立場で表紙に誰を選ぶかと言ったら、この人(キズナアイ)を置いて他にはいないでしょうね。完全に岡本先生のおっしゃる通りだと思います。ただ、一方で「VTuberカルチャーの中でのキズナアイ」という存在は、難しい存在でもあるとは思っていて。キズナアイさんは原点の存在ではあるけども、“典型的なVTuber”ではなかったんですよね。 岡本:よく言われることですね。 山野:キズナアイさんが体現していたバーチャルYouTuberというあり方が、2018年の前半くらいから、バーチャルライバー型のVTuber、あるいはストリーマー型VTuberといった形で、少しずつ変わっていったんですよね。つまりキャラクター設定をちゃんと作って動画投稿をしていくタイプのVTuber文化と、にじさんじやホロライブのような配信でパーソナリティを見せるVTuberの文化が並走して出てきて、やがて後者が盛り上がってくるという流れですね。 なので、キズナアイさんから入ったVTuberリスナーと、にじさんじやホロライブ、その前のアイドル部などから入ったVTuberリスナーでは、「VTuber」という言葉からイメージするものが全然異なるのではないかと思っています。にじさんじ、ホロライブのファンがかなり多いのは事実なのですが、VTuberカルチャーの黎明期から知っている根強いファンの方々も当然いますので、『VTuber学』の射程としては、両方のファンの方々へ目配せがしたい。キズナアイさんは黎明期のカルチャーの原点なわけですから、表紙に起用しつつも、多様性を表紙イラストで表現したり、内容面でも多様なVTuberの方々の動向や活動を紹介することで、様々なリスナーの方々へ配慮しているのが、『VTuber学』の特徴なんじゃないかなと思っています。 ■VTuberを学問として捉えることで、世界はどう変わる? バーチャル美少女ねむ:最後に、VTuberを学問として捉えることで今後世界がどう変わるのか、どうなるのを望んでいるのかといったことをお聞かせください。 岡本:私が『VTuber学』を作りたかったもう一つの強い動機としては、「VTuberを研究したい」という学生が増えてきたというのがありまして。研究をするためには、先行研究をしっかり探して読むことがとても大切なんですね。これまでは先行研究が見つけづらかったりした部分もあるのですが、入口として『VTuber学』を読んで、そこでさらに引用されているものに触れたりしながら、より深く調べてほしいと思っています。 内容としても、本当に様々な方がいろんなことを書かれていますし、引用もされていますので、元の論文や書籍にもアクセスしやすくなっていると思います。『VTuber学』を小さな地図のようなものにしていただいて、そこからもっとディープで広大なVTuberの世界に踏み込んで、自分なりに研究を進めてもらえたらと思っています。『VTuber学』の存在をお見せすることで、学生さんたちに「研究していいんだ」と思ってもらいたい。 くわえて、学生以外の方も研究してディスカッションができるような、そんな環境ができたらいいなというのも、ひとつの野望として考えています。冒頭でもお話ししたように、VTuberはインターネット、メディア、コンテンツなどさまざまな文化の結節点なので、そういった様々なサブカルチャーやメディアコンテンツを扱えるおもちゃ箱のような学会ができたら、きっと楽しいのではないかと思っています。 山野:VTuberというコンテンツ単体を研究するという土壌ができたことが、『VTuber学』刊行の大きな意義になっていると思います。今後、たとえばフィクション作品の系譜の中にVTuberを位置づけたり、あるいはインターネットの歴史、ライブ配信の歴史の文脈の中にVTuberを位置づけたりするときに、「VTuberとはどういうものか」という共通理解の土台になると思うんです。 VTuberのことを、単に「アバター付きの、顔を出さないタイプの配信者がいる」という風に整理してしまうと、あまりにもカルチャーのことを捉えられていないじゃないですか。 簡単に分類するだけでも、人々が気軽にアバターを身にまとって配信する「なる」タイプのVTuberがいる一方で、電脳世界やバーチャル世界から「来る」タイプのVTuberがいる。そうした様々なタイプの配信を実践している配信者や、それを受容しているリスナーが、どんな形でこのカルチャーを育んで、どういう見せ方をしているのかという部分に着目をしないと、VTuber文化の面白さや独自性は見えてこないと思います。 VTuber、メタバースの住民、REALITYを始めとするアバターを使った配信者やライバーを全部同じようなものとして捉える見方はあまりに単純すぎるし、何より、それぞれのカルチャーの特徴や多様性を掴み損ねてしまっています。 そういった細かな違いがあるものを、『VTuber学』という土台を出発点にすることでよりよく理解することができるし、インターネットの歴史やライブ配信の歴史、フィクションの歴史、ビデオゲームの研究といった様々な文脈にVTuber研究を位置づけることができる。適切な位置づけをしながら広い文脈でインターネットのカルチャーを相対的に見てみたり、フィクション論という文脈でより大きい研究をするための非常に大切な一歩を踏み出すことができたんじゃないかなと思っております。
取材=バーチャル美少女ねむ、構成=村上麗奈