鹿島で経験した「タイトルを獲らなければわからない景色」。山本脩斗が振り返る7年間と思い描く未来
成長を実感。不思議と負ける気がしなかった「過酷な約40日間」
――2021年からプレーした湘南ベルマーレで若手選手に対して感じたと話されていた、自信によるプレーの変化や成長を、まさに自分自身もアントラーズで実感していたと? 山本:自信ができてちょっとずつ視野が広がり、どんどんとできることが増えていく。それがまた好循環をもたらしていく。当時、センターバックには(昌子)源(現FC町田ゼルビア)がいるし、駆け上がると横には(小笠原)満男さんがいた。それもあって難しいことをせずに、シンプルにプレーをしようと思っていました。後ろから声も出ているから、自然と自分も出さなきゃと思うようになり、自分の考えや知識、経験と、すべてがワンランク引き上がった感覚でした。 ――当時のアントラーズで印象的だったのが、右の西大伍選手(現グルージャ盛岡)、左の山本さんが共鳴していたことでした。一方がクロスを上げて、もう一方がシュートを仕留めるなんて場面もあった記憶が残っています。 山本:キャラクターは全然違うのに、阿吽の呼吸みたいなものはありましたね。陰と陽じゃないですけど、大伍はボールを持てるし、前に行きたがるし、ヤス(遠藤康/現ベガルタ仙台)と縦の関係性も築いていた。そこで逆サイドの自分がバランスを取ることもありましたけど、自分が行くときは満男さんが残ってバランスを取ってくれるのでうまく機能していました。 ――今のアントラーズの選手たちが求められている選手個々の状況判断力が、一人ひとりに備わっていた? 山本:監督から、これをするな、あれをするなというのはあまりなかったですし、自分たちの持ち味や特徴を受け入れてくれていました。だから、攻撃に行く、行かないも、お互いに声を掛けることで、誰かが自然と残る状況を作っていました。 ――2018年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)優勝も含めて、選手として国内3大タイトルもすべて獲得しています。タイトルを獲ったことで得たものは何でしたか? 山本:言葉にするのは難しいですが、確実に違いは感じました。見える景色と、そこまで到達する過程で、チームが向いているベクトルが分かるというか。特に2016年にJ1で優勝し、FIFAクラブワールドカップを経て、天皇杯を獲った期間は、連戦に次ぐ連戦で、過酷な約40日間でしたけど、不思議と負ける気がしなかったですからね。 ――川崎フロンターレに2-1で勝利した2016年の天皇杯決勝では、前半にゴールも決めています。 山本:実は、クラブワールドカップ決勝のレアル・マドリー戦くらいから、すでに膝が痛かったんです。それもあって、天皇杯決勝ではダッシュできず、大久保嘉人さんのスピードについていけなかった。これではチームに迷惑を掛けると思って、ハーフタイムに交代を言おうと思っていたら、最後にヘディングでゴールを決めたんです。アドレナリンが出ていたから、試合もできていたんですけど、そのあと、検査したら左膝をしっかり痛めていました(苦笑)