瀬戸際に立つASEAN経済、成長へのカギは製造業の生産性向上
キーワードは「サービス・リンク・コスト」と「人材」
このように「早すぎる脱工業化」はASEANにおいても速やかに対処されるべき問題であるといえる。言い換えれば、ASEANの成長に期待する多くの日本企業は、ASEANがサブサハラアフリカや南米のように本格的な「早すぎる脱工業化」に陥らないかどうかを注視し続ける必要がある。 「早すぎる脱工業化」のメカニズムから考えると、ASEANがこの問題を回避できるか否かは、域内の製造業の生産性を向上させられるかにかかっている。技術革新による生産性向上を表す指標としては全要素生産性(TFP)がよく用いられるが、近年のASEANのTFPの伸びは芳しくない。図表3はASEANとNIEsについて10年から21年のTFPの伸びを比較したものである。NIEsを上回ったのはベトナムのみで、フィリピン、インドネシア、ミャンマー、ブルネイ、ラオスに至ってはTFPが低下している。 世界銀行は24年8月に発表した『世界開発報告2024』で中所得国の罠をテーマとして取り上げ、途上国が順調な成長を遂げ高所得国へと遷移していくためには、投資だけでなく発展段階に応じた対策をとることで生産性を向上させる必要があると指摘した。具体的には、低所得国は投資を増やすことのみに注力し、低位中所得国は投資と海外からの技術移転およびその国内普及、高位中所得国はこれら2つに加えて自国発の技術革新の同時進行が重要であるとした。 ASEANについてみると、ブルネイとシンガポールは既に高所得国入りしているが、カンボジア、ラオス、ミャンマー、フィリピン、ベトナムが低位中所得国に該当し、インドネシア、マレーシア、タイは高位中所得国に達している。 先進国や先発途上国からの技術移転に向けた方策は未だ研究途上である。しかし、GVCへの参加度を高めるような海外直接投資(FDI)の流入は、GVCを構築・管理する多国籍企業の厳しい要求に応えていくことや、それら企業と地場企業との交流等を通じて技術移転が促されることが期待できる。実際、アジア途上国における製造業比率とGVC参加度には緩やかな正の相関関係を見て取れる(図表4)。 FDI流入促進に向けてはビジネス環境の改善がしばしば指摘されるが、特にGVC参加度を高める観点では「サービス・リンク・コスト」の削減が課題となる。サービス・リンク・コストとは分割された製造工程・ブロック同士を結び付けるのに必要なコストで、単純な輸送費用だけでなく、関税や煩雑な通関手続き、取引先との情報共有等幅広い費用が含まれる。 各国のサービス・リンク・コストを正確に把握することは非常に難しいが、世界銀行が発表している「物流パフォーマンス指数」はその一端をみるうえで有用といえる。「物流パフォーマンス指数」は物流に関連する専門家にヒアリングし、各国を「通関や国境管理手続きの効率性」、「貿易や輸送インフラの質」、「競争力ある価格で出荷を手配する容易さ」、「物流サービスの品質」、「荷物の追跡能力」、「予定通りに荷物が届く適時性」の6つの項目で評価したものである。 ASEANの中所得国8カ国の物流パフォーマンス指標は総じて改善傾向にある(図表5)。ただし、各国の相対的な立ち位置はバラツキがある。23年の順位は上からマレーシアが26位、タイが31位、フィリピンとベトナムが43位、インドネシアが63位、カンボジアとラオスが115位であった(ミャンマーは政情混乱から23年は調査対象外)。これはASEAN以外の途上国も物流環境の改善に力を入れているためである。ASEANが今後、技術移転に資するFDIを誘致していくためには、スコアが低い「通関や国境管理手続きの効率性」、「貿易や輸送インフラの質」、「競争力ある価格で出荷を手配する容易さ」を改善していくことが重要となる また、人材も重要なカギを握る。技術移転には諸外国からの技術を受け継ぎ、国内へ浸透させることができる地場の人材が不可欠であるし、自国発の技術革新には研究開発を専門性の高い人材が必要となる。また、専門性の高い優秀な人材を国内に誘致していくことも技術移転、技術革新ともに選択肢の一つとなろう。 ASEAN各国における発展段階とハイスキル人材の状況をみてみると、インドネシアやタイがやや理論値を下回っているものの、全体としてみれば概ね発展段階に即したハイスキル人材の確保ができているようである(図表6)。 とはいえ、高所得国に達しているブルネイやシンガポール、高所得国入りが間近なマレーシアを除いた7カ国については、今後、ハイスキル人材への需要が急増する見込みであり、一層の対策が求められていることは間違いない。 スイスのIMD世界競争力センターは、「世界人材ランキング」として、世界各国(23年は64カ国)の人材に関して、「投資と開発(教育への公的支出や職業訓練、女性の活用等)」、「魅力(生活コストや企業の人材確保へのスタンス、税制等)」、「準備(労働力人口や管理職の能力、理工系人材、語学力等)」の3点から順位付けをしている。 ASEANについては、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5カ国に限定されるが、23年のランキングでは、シンガポールが8位、マレーシアが33位、タイが45位、インドネシアが47位、フィリピンが60位となっている。この5カ国において共通してウィークポイントとなっているのが、教育に対する公的支出である。効率的な資金活用によって財政規律を維持しつつ、教育分野への追加的な予算割り当てが求められている。 また、フィリピンとタイではその予算を十分な数の教師の確保に振り分けていく必要がある。さらに、インドネシアやマレーシアでは女性の活用が人的競争力、ひいては、技術革新に有用であることが示唆される。