キャッチング、インサイドワーク、すべてを兼ね備えた谷繁元信さん…またいつかユニホームを着てほしい【井野修「ジャッジの裏側」】
プロ野球の審判員を34年間務め、通算2902試合に出場した井野修さん(70)が、審判員時代に接したさまざまな選手のエピソードなどを紹介する企画「ジャッジの裏側」。今回は横浜(現DeNA)や中日の捕手としてNPB歴代1位の3021試合に出場し、今年、野球殿堂入りを果たした谷繁元信さん(54)の思い出を振り返る。 横浜や中日の正捕手として長年活躍した谷繁元信君は、今年、野球殿堂入りを果たしました。私も、彼は殿堂にふさわしい素晴らしい捕手だと思います。球審として彼のすぐ後ろでプレーをたくさん見ました。キャッチングはうまく、インサイドワークを含めすべてを兼ね備えた捕手でした。 彼のキャッチングで特徴的なのは、受けたところでバチッと止めていたことです。すごく大変だったと思います。球の勢いに押されて動いてしまう捕手はたくさんいましたが、谷繁君は見事に止め、動かさなかった。9イニングも出場すれば腕も疲れてくるでしょうし、レギュラーならそれが毎日となる。そんな中でのことだから、本当にすごい。 そしてそのことは、審判員により正しく投球判定をさせてくれました。ボールゾーンからストライクゾーンに動かし、結果として審判員をごまかすような形のキャッチングになる捕手も確かにいましたが、谷繁君は球審にしっかり見てもらうキャッチングともなりましたね。だから私もそうですし、たくさんの審判員は彼のことを信用していました。すごくいいことだったと思います。 投球を後ろにそらすこともあまりなかったです。普段からの習慣も大きかったのかなと思います。走者がいない時、ワンバウンドのボールを止めにいかない捕手は結構いましたが、谷繁君はそういう時もしっかり止めていました。それが、いざという時に生きたのではないでしょうか。 インサイドワークでは、横浜時代にハマの大魔神こと佐々木主浩君とバッテリーを組んでいた時のことが印象的です。1球目に、ど真ん中のストレートということがよくありました。あのころは1球目から打ってくる打者が今より少なかったように思いますが、それを逆手に取り、初球にど真ん中だったのでしょうか。全盛期の佐々木君の強い球は簡単に打てないからそうした要求ができたのかもしれませんが、打者もなかなか手が出ず、うまく大事なワンストライクを取っていました。投げる佐々木君もすごいですが、リードもすごいなと感じたものです。佐々木君と組む谷繁君は、何だか楽しそうだったなとも思います。 中日時代はベテランの捕手。そのころは、球審の傾向をよく理解しながらやっていました。私なら、どちらかというと広めの傾向にあったと思いますが、そういったことも踏まえて、うまくリードしていましたね。その中日時代、落合監督が投手を代えようかという感じでベンチから出てくると、まず谷繁君の方へ行き、「シゲ、どうだ」と聞く場面もよく見かけました。谷繁君も「ダメです」などとはっきり答えていました。落合監督としても、それだけ谷繁君の感覚を信用していたからこそ、そんな確認もしていたのでしょうか。すごく信頼されていたのかなと思います。 打者の谷繁君についても触れたい。プロ入りしたころは、相手もキッチリ1つアウトを取る存在と見ていたように思いますが、だんだん簡単にアウトにならなくなっていきましたね。捕手として、プロ野球選手として経験を重ね、読みに磨きがかかったのもあるでしょうし、努力して技術的にも進化していったのでしょう。そうして2000安打も達成したのですから、本当にすごい。またいつか、ユニホームを着てほしいですね。 (元プロ野球審判員) ▼井野修(いの・おさむ) 1954年4月24日生まれ、群馬県伊勢崎市出身の70歳。76年に審判員としてセ・リーグに入局、2009年までの34年間審判員を務め、通算2902試合に出場。日本シリーズ12度、オールスター6度出場。04~09年にセ・リーグ審判部長。10~13年に日本野球機構(NPB)審判長。14~17年にNPB審判技術委員。23年からルートインBCリーグ、四国アイランドリーグplusの審判部アドバイザー。
中日スポーツ