ユダヤ文化を知る――正統派のラビが日本大使を「茶の湯」でもてなした話
今度はラビたちに茶を点ててもらう
こうして初めて抹茶を飲むことができた2人のラビは、大変感動した様子だった。発案から半年近くかかってしまったが、ラビにお茶を味わってもらうことができて小泉先生も筆者も嬉しかった。そして、せっかくだからラビにもお茶を点ててもらおうと、裏千家の点前を小泉先生が説明した時のことである。ラビが「似ている……」と呟いた。 話を聞いてみると、ユダヤ教では安息日(毎週金曜日の晩から土曜日の晩にかけて、一切の労働が禁じられる日)が始まる前に宗教道具を清める動作があるらしいのだが、それと目の前で繰り広げられるお点前が似ているというのだ。筆者は直感的に、これは面白いのではないかと思った。 筆者が小泉先生から教わった茶の湯の精神とは、平和の精神、日本人が持つべき心、リーダーとしての心構え、そして、お客さんをもてなす心――といったものだ。一方でラビたちからは、ユダヤ教は人を大事にする宗教で、安息日には様々な人をもてなすことになっている、という説明を頻繁に聞いていた。日本の茶の湯文化とユダヤ教の精神、一見大きく違う文化だが、言っていることはそう違ってはいない。何より、京都の人もユダヤの人も、ともに長い歴史を持ち、伝統を大事にしてきた人々だ。お茶を通して、両者の間にシナジーが生まれるかもしれない。ラビたちにただ日本のお茶を飲んでもらうだけではなく、ユダヤ教のしきたりで抹茶を点てて、客人をもてなしてもらうのはどうだろう。 こうして、ワビ茶ならぬ「ラビ茶」プロジェクトが始まった。
もてなす客人は在イスラエル日本大使、場所はラビの自宅
グルマハ氏がイスラエルに一時帰国した際に、エデリー氏の旧知の水嶋在イスラエル日本大使を彼の邸宅に招き、お茶を振舞うことを決めた。 小泉先生が茶の湯の精神について説明するのを熱心に聞いた後、ラビたちは聖書を開いて参考になる個所はないかを探し始めた。少し経って、ユダヤ教の安息日におけるしきたりのうち、いくつか茶の湯にも応用できそうな風習を取り入れることにした、という。安息日は喜捨箱にお金を入れるところから始まる。これは、自分の感謝を具体的に示す行動であり、「ラビ茶」プロジェクトでも、参加者がコインを喜捨箱に入れるところから茶会を始めることとした。また、ユダヤ教で器をふくときにヘブライ語で清浄・純粋を意味する「ナ・キ」の文字を書く習慣を参考に、本茶会でも同様の対応を行った。 風習の違いが独特な調和を生み出した瞬間もあった。新品の食器を使い始める際には、天然の水(雨、川、海など)で洗わなければならないというユダヤ教のしきたり(沐浴規定)があるため、ラビたちは小泉先生のもとで茶を習う前には、京都を流れる川に出向いて洗浄をしたという。2月のまだ底冷えする寒さの中、冷たい川で食器を素手で洗浄し客の来訪を待つというエピソードは、百人一首に登場する「君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ」という歌が思わず頭に浮かぶ。 指導を担当した小泉先生もまた、日本人の価値観とユダヤ教の価値観に共通点を見出したという。「一般的に、茶道では茶杓(抹茶を掬う竹製の道具)についた抹茶を落とす時には、茶杓で器を強く叩かないことになっています。これは、高価な器を傷つけてはいけないという発想から来ていますが、ラビさん(※小泉先生はラビをこう呼ぶ)たちは何も言われなくても茶杓を自分の手に当てて落としていました。道具を大事にするという価値観が日本人ととてもよく似ています」と話した。