「この絵で10年は食べていける」『わかったさんのスイートポテト』永井郁子が寺村輝夫から受けたリクエスト
「陰影をつけない絵を描いて」という注文に応えて
――わかったさんのキャラクターデザインは、どのように決まったんですか? 永井 私はもともと油絵出身なので、どの作品にも陰影をつけて立体感を出していたんです。でも寺村先生から、「陰影をつけない絵を描いて」と言われたから、ロットリングで細い線を描いて、平面的に色を塗りました。けど、味気なく感じて……。近くにあった色鉛筆で輪郭線の内側にぼそぼそとした線を加えたんです。そうしたら、柔らかくてふくらみのある感じが出たんですよね。 その絵を寺村先生に見せたら「この絵で10年は食べていける」と言われました。うれしかったです。 ――そうしてわかったさんが誕生したんですね。 永井 そうです。毎回できあがった原画は、あかね書房に持っていくんですけど、寺村先生は1枚ずつ丁寧に見て、感嘆しながら褒めてくれるんです。人の乗せ方が上手なんですよね。編集者には厳しかったらしいですけど、挿絵画家にはあまり怒らなかったみたい。それだけ、挿絵画家の仕事を大事にしてくれたんだと思います。 もちろん「ちょっとポーズが違うんじゃない」と1,2回は言われたことはありますけど。ほかに一度だけ、「まほうつかいのレオくん」シリーズ(あかね書房)でモノクロの予定だったシーンをカラーに変えたことがあったんですけど、その時は、結構怒ってましたね。でもできあがった絵を見て最後には、「あなたはこれが描きたかったんだね」と私の意見を採用してくれました。
読んだら楽しい気持ちになれる寺村輝夫の世界
――寺村先生から学んだことは多かったと思いますが、永井さんが物語を書く時に大切にしていることは何ですか? 永井 物語については、寺村先生が「楽しいエンターテインメントだ」とおっしゃっていたので、楽しさを第一に考えています。 昔、「わかったさんのアップルパイ」の原稿をいただいた頃、私の母が大きな手術をして「もう駄目かな」という時があったんです。予定していた手術時間より5時間近くオーバーして、手術室から出てきた母の顔はもう真っ青。ベッドのそばに一晩中、暗い気持ちでついていたんですけど、そのときに預かっていた寺村先生の原稿を読んだら、すごく楽しい気持ちになっちゃったんです。おかしいでしょ。自分の母が危篤で、落ち込んでいるのにね。物語の世界に連れられていった一瞬だけ、明るい気持ちになれた。 寺村先生の原稿には、「ありえない!」っていう展開が詰まっているじゃないですか。シーツを広げてバルーンにしたら雷様に出会って、わかったさんが氷の服を着たり。氷で服なんか、できるわけないのに、そういう自由さが私には気持ち良かったのかもしれないですね。 つまり、寺村先生の世界には、人の気持ちを明るくする力が宿っているんだと思います。きっとそれは、今の子どもたちにも通じるものでしょう。だから、「読み始めたら楽しい」ということを一番大事にしています。