梅枝から時蔵へ! 六月歌舞伎座・襲名披露でさらなる高みへ!
小川家でかためた「三笠山御殿」のいじめの官女。「本当は(中村)米吉くんを入れてあげたかったんですけれど、いじめの官女って、本来、立役がやる役なんですね。女方がひとり入るのは、かわいそうだなと思って入れられなかったんです」。米吉さんなら張り切って、いじめてくれそうなのに残念!(笑)
時蔵 「8人全員、小川家で揃えられるんじゃない?」っていうことになって。 部長 確かに全員小川家の方々ですね! 時蔵 でも、獅童さんは、ご自身のことで相当大変なんですよ。息子の陽喜くんと夏幹くんの初舞台もあるし、昼夜すでに3本も出ていて、「いじめの官女をやったら4本になっちゃいますよ! 無理しないでください!」って言ったんですけれど、僕が出れば8人揃うからって言ってくださって。ありがたい限りです。この公演は、「小川家で歌舞伎座を開ける」という獅童さんの夢も詰まっておりますので、その第一歩となったんじゃないでしょうか。 小僧 ちなみに7歳で「梅枝」を襲名したときのことは覚えていますか。 時蔵 あのときはやはり父が時蔵を襲名し、弟の(中村)萬太郎と、(中村)歌昇くんと3人一緒だったので、みんなでわいわい楽しかった思い出はあります。 それと『極付幡随長兵衛』(きわめつきばんずいちょうべえ)に倅・長松役で出ていたんですけれど、長兵衛が(萬屋)錦之介の大叔父で、そのときの舞台姿は覚えています。大叔父は僕が10歳の頃に亡くなったので、数少ない思い出です。 小僧 萬屋錦之介さんといえば、映画スターとしても大活躍したレジェンドですよね!? 時蔵 はい。最後のほうの場面で、長松が「おとっつぁん、早く帰っておくれよ」と言って、大叔父に抱き締められる場面があるんですけれど、そこで見上げたときの汗をかいている大叔父の顔や、タバコの匂いなんかは鮮明に覚えています。 小僧 それは貴重な経験でしたね。当時から舞台に出るのは好きだったんですか。 時蔵 もともと人前に出るのは好きじゃなかったんですよ。でも、楽屋では大人たちが遊んでくれるし、出ればご褒美をもらえるから、ほぼご褒美目当てみたいな感じで(笑)。当時は、襲名の大切さとか大変さは全然わかっていませんでした。このたび梅枝を襲名する息子の大晴(ひろはる)もそうだと思いますけれど、あまり負担に感じずに、いつもどおり、楽しくやってくれたらと思っています。