「スポーツ解説には空虚な言葉が蔓延しているので…」元フィギュアスケーター町田樹(34)が明かした“スポーツ界への危機感”と“新たな挑戦”
「世界観が出ている」「表現力が素晴らしい」…本質は何も語っていない
町田 例えばフィギュアでは、「美しい演技」「きれいなジャンプ」のような言葉で評することがよくありますよね。そう感じたから、そう言葉にしたのだろうとは思うのですが、私が気になるのは、じゃあそれは何故に美しく、何故にきれいなのか、ということです。その「美しい」「きれい」と思わせている現象の本質というものをきちんと掴まえないまま、ただ紋切り型の賞賛の言葉が濫用されているように感じてしまうのです。これは、観客の問題である以上に、評価を生業としている人間の問題でしょう。
スポーツの世界に「空虚な言葉」が蔓延している
その演技がなぜ美しいのか、なぜきれいなのか、その「理由」を解きほぐすことこそが解説者の本来の仕事なのですから。「美しい」「きれい」ということ自体は本当なので、深掘りせずに流してしまうことができる。でも、その結果として、美しさの本質がどんどん分からなくなってきているように感じます。似た話として、フィギュアの解説で頻出する「●●選手/●●の音楽の世界観が出てますね」「表現力が素晴らしいですね」というような言い回しもあります。これもまた、本質は何も語っていません。 「じゃあ、その世界観とは何?」「表現力って?」と聞かれた時、その解説者はおそらく、具体的なことは何も答えられないのではないでしょうか。こうした実体のない「空虚な言葉」が蔓延しているのが、スポーツの世界なのです。
「空虚な言葉にNOと言いたい」研究者・表現者である町田樹の“挑戦”
――空虚な言葉が生まれる背景には、どんな事情があるのでしょうか。 町田 解説者のそうした言葉は、テレビ中継などから流れてくるわけですが、あの世界はものすごく尺に縛られているので、何を言うにも「5秒でお願いします」というような指示が伴います。常にカウントが入っている状態で作品を、演者を評さなければならないわけです。さらに言えば、ちょっとした失言で袋叩きにされるようなこの世の中にあって、自身を守るために当たり障りのない言葉を選ばざるを得なくなるのも致し方ないのかもしれません。 しかし、言語を信奉する研究者・表現者である私は、こうした流れに「NO」と言いたいのです。これは、「空虚な言葉」を「実のある言葉」に変えていくという挑戦、と言い換えてもいいでしょう。もしここで手をこまねいていては、空虚な言葉が延々と輪廻・再生産されていくという、ものすごくむなしい言論状況を生んでしまうことは必至です。そしてそれは、ともすれば観客をもその主体にしてしまうという危険性も孕んでいます。 例えば、SNS上には競技に関するたくさんの感想が飛び交います。そして、そうした場の代表格とも言える「X(旧ツイッター)」には字数制限があり、「尺」に縛られているテレビ解説同様に、空虚な言葉が流通しやすいという特性があります。 でも、私はそこに希望の光も見出しています。なぜなら、非常に的を射ていたり、はっとさせられるような感想も、また同様に存在することを知っているからです。そして、そうした素晴らしいレスポンスが直接届くことで、選手が感化され、それまであまり理解できていなかった自身の演技の本質というものに気づくきっかけにもなり得る。実際、私もさまざまな素晴らしい気づきを、SNSでの感想を介して得ることができた人間の一人です。 深い洞察力のある言語表現は、業界を活性化させ、次世代のパフォーマーを育むうえで非常に重要だと思います。自分のこれからの仕事も、そうしたポジティブな言葉の循環を作る一助となれば、これに勝る喜びはありません。
辻本 力/文學界 2024年3月号
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