絵描き・石黒亜矢子が『八犬伝』の世界観を描き下ろし!滝沢馬琴の姿に「自分もまだまだ頑張れそう」と感銘
誕生から180年以上の時を経て、いまなお日本のファンタジー小説の原点として語り継がれる「南総里見八犬伝」。その作者である戯作者の滝沢馬琴が生涯を通じて創作へ情熱を注ぐ姿と、奇想天外な物語として描かれた八犬士たちの戦いを入り混ぜる形で構成した映画『八犬伝』が10月25日(金)より公開される。 【画像を見る】滝沢馬琴や八犬士たちへの愛があふれる‥!石黒亜矢子がキャラクターを獣化した圧巻のイラスト 今回、「南総里見八犬伝」のファンであり、絵描き・絵本作家として活躍する石黒亜矢子にコラボイラストを描いてもらった。作品を観て、その構成や映像がとても気に入ったという石黒が、映画の感想とその魅力を明かした。 幼いころから「南総里見八犬伝」が好きで、自身のイラスト作品として物語の起点となる伏姫と八房のイラストを手掛けたこともある石黒。「南総里見八犬伝」に興味を持ったのは、小学生のころに図書室で偶然出会ったことがきっかけだった。 ■「週刊少年ジャンプのマンガみたいなおもしろさもあって作品に引き込まれていた」 「当時は家で犬を飼っていて、とにかく犬が大好きだったんです。そんな子どもだったので、小学校の低学年のころは、図書室に行って“犬”にまつわる物語を探しては片っ端から読んでいたんです。棚を見て、“犬”の文字を探すという感じで、『熊犬物語』などを見つけては読むということをしているなかで、児童書として書かれた『南総里見八犬伝』を見つけまして。タイトルに“犬”が入っているので犬が活躍するお話だと思って読み始めたら、こちらの予想とは全然違うお話で。それでもすごくおもしろくて、名字に“犬”が付く剣士が登場して戦って、魔術的なものも出てくる。日本で唯一の『西遊記』のようなファンタジーとして楽しめる話だと思って楽しんでいました。でも、よく考えると、8つの珠を持つ剣士が姫のために集まるというのは、『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』みたいな感じで、そのころ夢中になっていた週刊少年ジャンプのマンガみたいなおもしろさもあって作品に引き込まれていたように思います」。 映画『八犬伝』は、小説家の山田風太郎が書いた原作小説をもとに映画化されている。映画は2つのパートで構成されており、ひとつは「虚構」である馬琴が小説として記した「南総里見八犬伝」の八犬士たちの活躍がする“虚”のパート。もうひとつは、「南総里見八犬伝」を書いた滝沢馬琴(役所広司)が友人である葛飾北斎(内野聖陽)と交流し、2人のやり取りを通して作品がどのように生みだされていったのかという「現実」をもとにした“実”のパート。この「虚構」と「現実」を交互に見せることで、物語がどのように生みだされ、その裏で馬琴がどのように思い悩み、苦労の中で生涯をかけて「南総里見八犬伝」を記していったのかが明らかになる。この“虚”と“実”を織り交ぜた巧みな展開に、石黒も心から感心したという。 ■「予想していなかった構成も含めて、すごく新鮮に楽しむことができました」 「私自身、今回の映画に関してはあらすじなどの知識をまったく入れない、知識ゼロの状態で観たので、予想していなかった構成も含めて、すごく新鮮に楽しむことができました。小学生のころから『南総里見八犬伝』はおもしろいものという刷り込みがあるので、現代の最新の映像技術で描かれる“虚”のパートはすごく楽しめました。その後に“実”のパートが始まった時には『そういうことか!』と驚きつつ、馬琴と北斎のやり取りで描かれる創作の様子や江戸時代の生活描写がとにかくおもしろくて。この映画は、“虚”の部分だけを映像化したものだったら、少し物足りないと感じていたかもしれないですが、この2つの構成だと本当にちょうどいい感じでした。そして、映画を観ていくとだんだん“実”の部分が中心で、“虚”が脇として作られていることがわかっていって、馬琴の人生を知ることができるという流れもすごくよかったです」。 ■「馬琴は北斎にずいぶん助けられたんじゃないかと思う」 映画の本筋として描かれるのは、「南総里見八犬伝」という物語を生みだそうと苦悩するクリエイターとしての馬琴と、馬琴の語る数々の物語を画として描き、創作に限らず私生活に関する悩みなども聞く北斎の友人としての姿。その交流の様子を、自身も絵描きとして活動し、絵本作家として物語を考える石黒は、クリエイターとしての馬琴に対して強い思い入れを持ちながら楽しんだという。 「私は絵本作家なのでそんなに細かく入り組んだお話を考えることはないんですが、いまちょうど描くとなると長くなりそうなお話を考え始めていたところでこの映画を観たんです。だから、馬琴に対してはものすごく気持ちが入ってしまいましたね。私は担当してくれる編集さんをすごく頼りにしていて、相棒のように思いながら作品づくりをするんです。キャッチボールをするように相手が意見を投げてくれれば『なるほど』と思うし、それを踏まえたものを投げ返すというやり取りが仕事としてとても楽しい。でも、馬琴の場合はそういうふうに頼れる編集者がいたわけではなく、ひとりで考えて、ひとりで書いていたわけですよね。もちろん、空想する楽しさはあったかもしれないけど、いざ人前に出すお話を仕立て上げるとなるとそれだけじゃ済まない部分があるわけで。おもしろく見せないといけないし、説得力も必要で、さらに読者を引っ張っていく要素なども全部ひとりで考えなければならない。それは本当にすごいことで、それをやりきった馬琴には、尊敬しかないです。でも、やはり孤独な作業だから、誰かに1回読んでもらわないと本当におもしろいのかわからないと不安になったりすることも。これは正しいのか正しくないのか、“あり”なのか“なし”なのかを、信頼する人、ちゃんと褒めてくれる人に見せることが重要で、だからこそ馬琴にとって北斎の存在は大切だったんじゃないかなと。挿絵描きということで仕事はつながっているけど、職種がまったく違う。そういう立場の人から意見を聞けるのは貴重なので、馬琴は北斎にずいぶん助けられたんじゃないかと思いますね」。 ■「後味の悪い終わり方をする話を絶対に描きたくないという馬琴の想いもわかる」 そんな石黒が劇中で印象に残っているシーンとして語ったのは、「東海道四谷怪談」の作者である鶴屋南北(立川談春)と馬琴の顔合わせ。歌舞伎として舞台化された「東海道四谷怪談」を北斎と連れだって観に行った馬琴は、舞台の奈落(演出のための機構や出演者の通り道となる床下の通路)を通る最中に南北と出会い、それぞれの物語づくりに対する考え方の違いを語り合うことになる。「怪談」という人の悪行や闇にスポットを当てた物語を娯楽化する南北。人の持つ善性や希望などにスポットを当てた物語を描く馬琴。ある意味、求める方向性が異なるクリエイター同士の意見交換とも言えるシーンだが、石黒自身も作品の送り手として感情を大きく揺さぶられたそうだ。 「あのシーンのやり取りはなかなか苛立ちを覚えましたね(笑)。私は物語づくりに対する考え方が馬琴寄りなんです。“勧善懲悪”が大好きで、『水戸黄門』もそういう要素が好きで観ていました。自分が描く絵本や児童書でも、嫌な終わり方はしないように心掛けていて。だから、馬琴の言う『心のよい者が、悪いことに合うような話には僕は絶対にしない』といったセリフは、すごく心に響きますね。そうした想いやこだわりは馬琴の描くストーリーの大元にあって、そこにすごく共感しますし、後味の悪い終わり方をする話を絶対に描きたくないという想いもわかります。もちろん、私は『四谷怪談』も好きなんですが、自分が書くならそうはしたくないということですね」。 ■「つらくて大変だけれども創作活動を続けるという馬琴の“実”の部分が心に染みた」 そうしたクリエイター同士の想いをぶつけ合うようなシーンだけではなく、本作では馬琴の家族の物語も注目すべきポイントとなっている。馬琴の息子であり、父親からの期待を一身に背負って医者となり、馬琴の才能を大きく理解していた宗伯(磯村勇斗)。馬琴が婿入りした下駄屋の娘で、学がないゆえに馬琴の創作活動を理解することができずにきつくあたり続けた妻のお百(寺島しのぶ)。病弱な宗伯に嫁入りしてきたお路(黒木華)。その家族の物語にも石黒は強く惹きつけられた。 「役者さんがとにかく全員よかったです。馬琴を演じる役所広司さんはもちろん、奥さんを演じた寺島しのぶさんがすごくいい味を出されていて。旦那の創作活動は理解できず、息子も旦那の才能を認めてサポートしている姿に、自分はなにもできずに疎外感を感じていて、すごくきつくあたったり嫌味を言っているような感じだったんだろうけど、根本的には一番寂しかったんじゃないかなって。その心情を寺島さんがよく表していて。現実では息子が病気になってしまったりとか、いろいろと大変なことがあって、最後に、失明した馬琴が文字を書けなくなった時には、息子の嫁が力を貸してくれたり。つらくて大変だけれども、それでも創作活動は続けるという馬琴の“実”の部分が本当に心に染みました」。 ■「フサフサの毛に覆われた秋田犬らしい八房になっていて、かわいくてよかった」 そうした“実”の部分と対になる“虚”のパートであり、馬琴の頭の中で描かれた物語を映像としてみせる「南総里見八犬伝」の映像描写に関しても、石黒は高く評価している。 「“虚”のパートの役者さんの演技は、物語の登場人物としてキャラを演じている感じがよかったです。リアルに存在する人ではない演じ方が、“実”のパートとの違いになっているんですよね。物語前半に登場する、伏姫に忠実な犬の八房は秋田犬なんですよね。児童書の挿絵なんかだとそのあたりがあまり再現されていなかった記憶があって、自分がイラストを描いた時は秋田犬っぽくなることを意識していたんです。今回の映画では、ちゃんとしっかりごっつい、フサフサの毛に覆われた秋田犬らしい八房になっていて。かわいくてよかったですね。『南総里見八犬伝』って、読めばおもしろいお話で、それこそ魔法のような妖術なんかも出てきますし、いろんなマンガの原石のような要素も持っているんですが、原作が長いということもあって、いざ原作のどのパートを取り上げているのか。現代のお客さんにおもしろいと思ってもらえるエンタメ映画という形でちゃんと映像化するとなると難しい作品の一つなのかなと思うんです。でも今回は、馬琴の人生という“実”のパートがメインなので、“虚”のパートはテンポよく、原作のおもしろいところ、観客が観たいと思っている名シーンを現在の技術でちゃんと映像化してくれていて。この作り方だと『南総里見八犬伝』の大筋はわかるし、でも飽きることなく、人間ドラマと合わせて楽しむことができる構成も含めてすばらしいと思いました」。 ■「“虚”と“実”の両方がそろってこその『八犬伝』。八犬士だけじゃなくて、馬琴も北斎も入れるようにしようと思った」 そうした“虚”と“実”を織り交ぜた物語をベースに、石黒に『八犬伝』とのコラボイラストを描いてもらった。登場人物たちを“犬”という形で獣化し、“虚”と“実”の登場人物たちが勢ぞろいした構図となるイラストを手掛けてみた印象はどのようなものだったのだろうか? 「私は、もともと人間を描くよりも妖怪とか想像の動物を描くのが大好きで。そればかり描いてきたので人間を魅力的に描くというチャンスがなかったんです。人は常に脇役で、脅かされていたり、食べられていたり、時には一緒に戦ったりするけど、どちらかと言えば動物が主人公になっています。だから、いざ人間を魅力的に描こうと思った時は、獣化させたほうが魅力的に描けるというところがあって。そういう意味では、今回出演されている役者さんを獣化するのは楽しかったですね。役所広司さんは犬顔で、立派な大型犬という感じですし(笑)。構図の案を考えた時は、いくつかパターンを考えたんですが、やはり“虚”と“実”の両方がそろってこその作品だと思うので、八犬士だけじゃなくて、馬琴も北斎も入れるようにしようと思いました。八犬士たちもキャラがちゃんと立っているし、コスチュームも華やかなので『描いてください!』と言わんばかりで、どうやって描こうって悩んだりもしなかったです。こういうコラボレーションものは、作品がいいとモチベーションも高くなるんですが、そういう意味では、映画がとてもおもしろかったということも含めて、今回はすごく楽しく描かせていただきました」。 ■「なにか目指している人が観ると、本当に胸に迫るものがある」 自身が絵描きであり、絵本作家である石黒は作品を見終えて、本作を「ものづくりを目指している、若い人たちに観てもらいたい」と感じたそうだ。 「本当に“虚”と“実”が絶妙な形で描かれていて、そのおかげで作り手の苦労という部分がすごくわかる作品になっていると思うんです。だから、なにか目指している人が観ると、本当に胸に迫るものがあるなと。だから大人はもちろん、もっと若い中学生や高校生くらいに観てほしいですね。偉人が頑張る姿を見せてもらって、この物語を生涯かけて書いたのかと思うと伝わるものがたくさんあると思うし、そんな姿を見ればいろいろ悩んでいても、『自分はまだまだ頑張れそうだ』という気持ちを持つことができるんじゃないかと。特に後半の、馬琴と息子の嫁であるお路とのやり取りは、なかなか衝撃的で。そこまでして物語を書いたのか!と感動するはずです。骨太な伝記映画ではあるんですが、そこだけを描くのではなく、“虚”のパートのエンタメ感がトーンの調整をしてくれてすごく観やすい形になっている。そういう意味でも学びが多い映画なので、ぜひ多くの方に観てほしいと思います」。 取材・文/石井誠