【団地のふたり】“子ども部屋おばさん”や“独身子なし”の「50代団地暮らし」に猛烈に惹かれてしまうワケーー小泉今日子と小林聡美が演じる主人公たちの“なんかいい暮らし”
ノエチも、家でひとり仕事していると停滞を感じるときがあるだろうけれど、食事だけは誰かといっしょにすることで回避できるだろう。 ■87歳まであと30年以上あるという現実 だが本当はふたりだってここでの生活に100パー満足しているわけではないのである。50代、更年期もくるし、若者に「おばさん」と言われることも心地よいわけではない。自分の日常が決して冴えているわけではないことは自覚している。 そこを深掘りしてもいいことはないから、遠くまで行かず浅瀬のところでちゃぷちゃぷと足を浸しているような日々を過ごすふたりを小説では、なっちゃんが「はぐれ者」と呼ぶ。
はぐれ者なりのゆるく心地よい日々。とてもうまくやっているようだが、それは互いにほどよく我慢することで成り立っている。長い付き合いの中で、ふたりの間では、先に弱ったほうをもう一方が助けるという暗黙のルールができていた。 それでも我慢できず、ときどきキレてしまうこともある(たぶん理屈っぽい野枝のほうがマイペースな自由人の奈津子に腹を立てることが多そうだ)。 あるとき喧嘩したふたりが仲直りするきっかけは切ないものであった。
幼い頃、仲良くしていたもうひとりの団地のお友達・空ちゃん。幼くして亡くなった彼女の命日に毎年、花を供えにふたりは部屋を訪ねることにしていた。 その日、花をもって野枝が奈津子を誘いにきて、そのまま亡くなった空ちゃんの家へ。そこには40年前の子ども部屋がそのまま残っている。いまは残された母親がひとり、娘の思い出とともに暮らしている。 40年も前に亡くなった人物のことをいまなおずっと思い出しながら、つい最近のことのように語りあえるのは、団地があの頃のままでいるからだ。
あるとき、ノエチとなっちゃんが食事をともにした際の話題は、いまの日本人女性の平均寿命。87歳まであと30年以上あるという現実。社会人になって山あり谷あり生きてきたぶんくらいの、途方もない時間があることをふたりは認識する。 あと30年以上――もう1回、人生を生き直すようなものであり、それは希望なのか、地獄なのか。国力が弱っているにもかかわらず寿命だけは伸びている現代日本をゆるやかに、でも鋭く写し取っている。きっといまの日本には「はぐれ者」が増えているのではないだろうか。