「胸が詰まり、残りの人生をかみしめた」俳優・塩見三省の心を揺さぶった漫画作品(レビュー)
「アウトレイジ」シリーズでのヤクザ役から、「あまちゃん」の琥珀の勉さんなど、多彩な役柄を演じて活躍している俳優の塩見三省さん。 【マンガ『ツユクサナツコの一生』第1話を読む】漫画家「ツユクサナツコ」の物語 2014年に病で倒れた塩見さんは、懸命なリハビリを経て2016年に復帰。2021年にはエッセイ『歌うように伝えたい』を刊行し、その闘病の日々と心境を綴っている。現在は俳優としての活動のほか、書評や随筆など執筆も展開している。 その塩見さんが「胸が詰まり、自分なりの残りの人生を思い、かみしめた」と心を揺さぶられた作品がある。 イラストレーターの益田ミリさんが描いた漫画で、第28回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した『ツユクサナツコの一生』(新潮社)だ。 父と二人で実家に暮らす32歳のナツコの日常を淡々と描いた作品の何が琴線に触れたのか? 塩見さんが綴った書評を紹介する。 *** 静かに波立つ感情がこの作品世界にひきつけられ、揺れながら行ったり来たりする。 作者が漫画という表現でその特性を活かしきって、あのコロナ禍の日々に感じた日常の空気感を細やかに描いた稀有な作品である。 「あのとき」はマスク越しに、何故か平時より相手の気持ちに向き合おうとした。人との会話は減っていたが、自分自身の内なるものとはずいぶん語り合い、そして立ちつくしていた。その時抱え込んだ気持ちの内側の襞が描かれているのだ。 ツユクサナツコを軸にして家族、周りの人とのつきあい、そしてナツコが作中で描く漫画、亡き母との交流、猫(ニャンゲン)の寓話のような暗示的な挿話。 この作品の設定は多層的であるがそのことがコロナ禍のあの説明し難い私たちの曖昧な感情と重なり通じていて、その作劇は決して説明的にはならない。読み返すたびに、結末を含めて全編が「あのとき」に誠実に向き合っていて、作者には描く必然性があったのだと思った。 作者が自分自身の肌感覚でもって創作することで「あのコロナ禍の日常」を伝えられると信じて構成された本作。シンプルな線と書き割り風の作画によって展開される物語には、人の気持ちの動きを想像させるふくらみがあり、曖昧で多面的な人間たちのリアルな匂いを感じさせてくれる。そこでの作者の表現は虚をつかれるほどに深く、文学的でもあり見事なのだ。 また益田ミリさんの対象と向き合う姿勢は独特なもので、それは荒々しく対象に近づき、感情の振り幅を大きくすることではない。私は益田さんにしか見えない、捉えられない現代における世界観を信じている。 そして読み人に感情を預けるかのようにさしこまれる空白のコマ、浮かぶ雲の景色、写真、家の外観、またページ全面を使ったリアルタッチなイラストなど。そのひとつひとつには作者が絶えずそうしたものへのイメージを求め続ける表現者としての一貫性があり、作品を通してかけがえのない日常生活の日々を丁寧に描きながら、あたかも山の深いところへ行こうとするような真摯な作者の生きる姿勢が浮かびあがってくる。 お父さんに気持ちを寄せる世代である。その結末に正直うろたえたが、最終話「胡桃」でお父さんを包み込む作劇として、哀しみのなかで大切な人と共有した温かい時間の尊さを描いている。 そして縁側でのお父さんの最後の独白……。私は胸が詰まり、自分なりの残りの人生を思い、かみしめた。 全てを同一化してしまう昨今の世相に抵抗感があった私にはこの時代に益田ミリさんの『ツユクサナツコの一生』がそっと私に寄り添ってくれたことが嬉しかった。 ウキウキする気持ちと並列して哀しいこと、胸がつぶれるようなこともある。それでも「いま」を生きている人たち、生き抜こうとする人たちへの静かなエールがあった。 読み終えて余韻のなか、あの「コロナ禍のとき」を思い出した。世界が静まり返り、互いに声をひそめて、何かわからないものに怯えたが、人に優しくしようとする気持ちは確かにあった。日常の尊さをそれぞれがマスク越しにも、思う日々であった。そして生と死。 忘れてはいけないことを、もう消えかかった感情を、この作品が呼び起こしてくれたのだ。 自分の知らない清潔な新しい感情に出会えた悦びで少しボンヤリしていると、遠くから作者・益田ミリさんの静かな声が聞こえてきた。 私はここ(作中)にいる、そしてまだ見ぬあなたたち(読者)を待っている。あなたの息、あなたの鼓動、あなたの重さを私は受け止め、知ろうとし、わかり合おうとする。約束する、と。 ただただ、昨日に続く今日であり、明日であることを願い、思う『ツユクサナツコの一生』であった。 [レビュアー]塩見三省(俳優) 協力:新潮社 新潮社 Book Bang編集部 新潮社
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