放置森林は燃やして稼ぐ。西伊豆発循環モデル、次なるピースは「うまい」薪火レストラン
── エネルギーは海外に依存しているし、食料自給率も低い。一次産業の人たちが食えないとかもよく聞く話ですね。 自立的なあり方とは程遠くて、国として相当ヤバいんじゃないか?って思うことがあります。じゃあどうしたら解決できるかって、難しい話は何もなくて、ただその土地の自然環境にあったものを、自分たちが生きるために使えばいいだけ。そのモデル的なあり方をつくって広げたいと思っています。 ── もう具体的に動き出してるんですか? 薪火レストランは、オープンに向けて絶賛進行中です。レストランにはツアーの受付も設置して、自分たちがこれまでやってきたことのすべてを集約させるつもりです。 これがうまく軌道に乗れば、他のすべての活動も含めて、循環の「丸」ががっちりとホールドされるイメージがあります。ゆくゆくは、この「丸」を全国にも展開してみたい。地域資源を無駄なく使って、しっかりと稼いでいくつもりです。
自然に生きれば、自然とまわる
── 潤一郎さんはサステナブルなあり方を体現しつつも、あくまで既存のシステムに則りながら、「まわそう」としているように見えました。半ば興味本意でお聞きしたいのですが、反資本主義的な思想についてはどう思われますか? ちゃんとやっている人はやっていると思うし、それ自体が悪いとは思わないです。僕の父親もストイックな旅人で、どちらかと言えばそういった思想を持っている人でしたから。ただ、何も行動しないで世の中に文句ばかり言っているような人たちは好きではないですね。なぜなら、彼らには責任感がないから。 ── 責任感。大事なキーワードのように思います。 現実に不満があるのなら、口を動かす前に手足を動かした方がいい。僕自身、行動していくことで循環型の考え方が深まっていったし、現実も変化していきました。 最初の方にも言ったけれど、僕は阿蘇のじいちゃんばあちゃんのように、自立してやりたいだけなんです。自分の足で歩いて、自分の手を動かして、見たことのない景色を見てみたい。だから僕は旅でも、あえて人があまり通らないような道を行きます。 若い頃に旅したヒマラヤでは、ヤクのキャラバンが物資を岩塩と交換するために往来していた道を歩きました。行商人たちが眺めたであろう景色に思いを馳せながら、小さな村を発見したり、家畜の放牧地に迷い込んだりしたことは、自分にとって掛け替えのない体験でした。 ── 道は潤一郎さんにとって、ロマンのようなものでもあるのでしょうか? 深く考えたりはしないのですが、道は何かしらの「理由」があって発生しているものだから好きなんです。その「理由」が、その土地の暮らしに深く根差したものであるときに僕は親しみを感じるんです。 ── 潤一郎さんのあり方は、道なき道を進む、というのともまた違う感じがしますね。人類の営みに敬意を払いつつ、自分らしい道を健やかに歩まれているような。 僕はただ、僕にとって自然な方向に進んでいるだけです。自分の気持ちに嘘をつかない。変なことをしない。ただそれだけで、いろんなことは、自然と「まわっていく」んじゃないでしょうか。 今の悩みは、仕事が忙しくなりすぎてしばらく旅に出られなくなるかもしれないこと。いつか子どもたちをパタゴニアに連れて行きたいから、そのためにも今は頑張り時だなって思うんです。
取材・執筆 : 根岸達朗 取材 : 長谷川琢也 編集・撮影 : 日向コイケ