1984年夏の甲子園~PL桑田真澄のひと言に取手二ナインは奮起 どん底だったチームがひとつになった
実際に選手たちは2週間、練習に出なかった。6月になっていたから、夏の地方大会に向けて総仕上げをする大事な時期だ。そこでの練習ボイコットは、チームづくりに大きな狂いが生じかねない。「分裂寸前でしたね」と、中島は振り返る。 「仲間を思う気持ちとは別に、僕なんかは夏に備えて練習したかったですし、ヘタしたらこのまま高校野球が終わりかねません。だから『監督に頭を下げて戻ろうよ』と提案したんですが、『ひとりだけいいカッコすんな!』と険悪なムードになって......選手同士にも葛藤があったんです」 そのうち、あらかじめ組まれていたPL学園との招待試合の日が迫ってくる。放置しておくと本当に分裂してしまうギリギリの頃合いを読んだのか、ガマン比べも限界だったのか、木内監督が「招待した相手に失礼にあたるから、戻ってこい」と折れ、練習が再開された。分裂はなんとか回避されたわけだ。 【招待試合でPLに0対13と大敗】 6月24日、PLとのその招待試合。ボイコットの間も、各自が個人練習を続けていたとはいえ、相手は横綱である。 「2週間も練習していなければボロボロですよ」と中島が言うように、ほぼ一夜漬けに近い取手二は、0対13で大敗を喫する。 試合後のことだ。顔見知りの地元紙の記者が、木内監督にこうささやいた。「PLの桑田くんが『これが茨城のナンバーワンのチームですか?』」と言っていましたよ。 それを耳にしたナインは顔色を変えた。当時の高校野球人気は若い女性にも浸透している。PL見たさのその女性ファンがたくさんいる前で屈辱的な負け方をしたうえに、1学年下の相手にそこまで見下されるとは。 「クッソー、見とけよ......」 翌日からの練習では、これまでに見たことがないほど全員が集中した。 (文中敬称略) 中編につづく>> 「高校野球2024年夏の甲子園」特設ページはこちら>>
楊順行●文 text by Yo Nobuyuki