柳美里×安堂ホセ、小説で「自分」を書くということ 村上春樹ライブラリー朗読イベントレポート
◼️「面白かった」「良かった」とは言えないような小説 安堂に続いて、『JR上野駅公園口』の朗読が柳美里によって語られる。本作は、東京オリンピックの前年、出稼ぎのため上野駅に降り立った男の壮絶な生涯を通じ、日本の光と闇を描かいた作品。2020年に全米図書賞・翻訳文学部門を受賞し、柳の国際的な評価を確固たるものにした。 安堂ホセ:(朗読を聞いて)感動しました。昨日、この作品をもう1回全部読んでみました。その人の気持ちになることとはまた違う。小説に書かれている他人のことを読んでいる。でも結末や、途中で上野公園に住むようになることなど、自分や自分の大切な誰かがそうなりうる可能性としても、並走して読んでいきました。「面白かった」「良かった」と言えないような小説があると思うんですけど、自分にとってはそういう体験でした。 小説を書く時に、自分の体験でなくても、自分から出発して書くことが多かったんです。柳さんのこの小説は、上野のことと福島のことも、どちらも対象者の方がいて取材をされていて、その二つを繋げていくことで小説を作っている。自分はまだそういうことを考えていなかったんですが、もしこれからも小説を書いていくんだったら、そういうことがやっぱり小説家の仕事なんだなと思いました。 柳美里:東日本大震災の翌年から南相馬で、臨時災害放送局でラジオを始めたんです。そこで地元の方600人のお話を6年間かけて聞いたのが大きいと思います。 私のことを私小説作家だと思われている人もいまだに多いように思いますが、ある時から私に関心がなくなったというか。私とは何かと考えた時に、結局両親の元に生まれて(周りから)色々な圧を加えられてきた。10代の頃の私を成り立たせていたのは、そんな両親だったり教師だったりする。他人が入り込んでできているんです。そうしたら、他者を書くのも結局は同じというか。たくさんの人の声を聞いているうちに、自分が組み替えられたようでした。いろんな声がなだれ込んできて。それは言い方を変えると、自分なのかもしれません。
篠原諄也