散策しながら季節を俳句に詠む。初めてでも楽しめる吟行のすすめ。
庭園奥のエリアには池や湿地が広がっています。気になる植物を見かけると、立ち止まるふたり。何気ない会話の中に、作句のヒントがあることも。 犬山 私、写真もメモもスマホですが堀本さんはメモは手帳でしたね。吟行中に写真を撮るのは問題ないですか。 堀本 全然いいんですよ、撮っても。ただ、カメラ頼みになってしまうと、もう写った枠内のイメージしか残らないので「ほどほどに」という考え方はありますね。自分の目でじっくり見て心の中でシャッターを切ると、花の趣や形、咲いている様子などが脳にインプットされる。そこから作るほうが広がりがあります。僕はポケット版の歳時記と手帳を持ち歩いています。スマホは撮影よりも、植物や動物の名前を確認するのに使うことが多いですね。 犬山 ゆっくり時間を取ったほうがやっぱりいいなと思いました。ひとつの花を見るにしても、その場に10分はいないとなかなか観察しきるのは難しい。逆に言えば、一つの花を10分も20分も眺め続けるなんて日常にないし、すごく贅沢な時間ですよね。 堀本 いまおっしゃったこと、本当に大事なことなんです。西洋画のスケッチから「写生」を俳句の技法として取り入れようとしたのが正岡子規で、いまや俳句の基本は写生とまでいわれます。絵の写生と同じで、ひとつの花の前でその花を観察しながら、どういうふうに詠もうかと考えるのは楽しい。 その際、吟行の句は日を置かずに当日、記憶が鮮明なうちに作ってしまうのがキモです。瞬発力でしか出てこない言葉というのもあるし、即興というのは俳句の一つの本質だと思います。
昼休憩をはさみ、30分ほどのシンキングタイム。堀本さんは手帳を見返しながら。犬山さんは呻吟(しんぎん)しながら。それぞれの句ができあがりました。 犬山 講評はどきどきしますね。 堀本 最初の句は、貝母(貝母)が季語ですね。貝母はみなうつむいて咲いていますから、そのうなじに産毛があるという発見の句ですね。2句目は、スニーカーと苺の花は同じ白だけれど色合いは微妙に違いますから、そこの取り合わせがとてもいいです。3句目、確かにミツガシワの様子にちょっと不気味さというか、デスメタルチックなものを感じたので、面白い取り合わせを持ってきたなと。あと、2句目と3句目を拝見して、犬山さんは面白いリズム感を持ってらっしゃるなと思いました。