消えてしまった「工場」の地図記号。伝統的な<歯車>の形になるまでの道のりと工場の歴史とは?
◆何種類もの記号 さて、実際の工場にはさまざまな種類があり、戦前の地形図の図式では何種類もの記号が定められていた。 「明治33年図式」では工場を示す「製造所」の他に、造舩(船)所、鍛工所、鋳造所、磚瓦(せんが)製造窯及(および)陶磁器製造窯、石灰製造窯の5種類があり、さらに明治17年から関西で整備が進められた2万分の1の「仮製図式」ではこの他に火薬製造所、大砲製造所、小銃製造所の3種類を合わせた実に8種類が用いられていた。 私もさすがにこの「仮製図式」の3種類はほとんど目にしたことがなく、今回の記事を書くにあたって初めて、大阪城の東側にあった砲兵工廠(こうしょう)に「大砲製造所」の記号を確認したほどである。 同工廠はもともと明治5年に陸軍省が発足した当時の「大砲製造所」がルーツである。その他の二つの記号はまだ拝んだことがない。 これら3種類がすぐに廃止されたのは防諜目的と考えられなくもないが、火薬製造所以外の二つについてはそれだけ表記する対象が少なかったのかもしれない。 あまりに登場頻度が少ない記号は誰にも覚えてもらえず、そうなると記号を定めた意味がないからだ。 一方で火薬製造所は官民含めて各地に多く、これも工場記号に統合されている。 陸軍の巨大な火薬工場であった東京の板橋火薬製造所(現板橋区加賀付近)を「明治42年図式」の1万分の1地形図で確認すると、工場の記号が広い敷地の中央付近に置かれていた。 歯車記号の傍らにはMのような形をした「陸軍所轄」の記号も添えられている。
◆金属工場の記号 消えたこの3種類の他に、その後「大正6年図式」まで存続した5種類の記号を順に見ていこう。 まず造船所(「明治33年図式」から「大正6年図式」までは「造舩所」の表記)は読んで字のごとく船を造る工場であるが、一見「渡船(とせん)」の記号に似た船の平面形に〒のような形を重ねた、建造中の船をイメージした記号であった。 造船所の乾(かん)ドックは明治の図式では煉瓦のような模様を描いて周囲に護岸の記号をめぐらして示され、大きな縮尺であれば起重機(クレーン)の記号もあって、それらしい雰囲気を出していた。 次の鍛工所であるが、鍛工とは日本刀のように金属を文字通り鍛えてモノを作ることで、刃物以外にも耐熱性と強度を求められるエンジン部品や歯車、バルブ等の加工に用いられる技術である。 記号は工場記号の歯車に旗が立ったような形をしているが、旗に見えてこれは鍛えるためのハンマーかもしれない。 対して鋳造所は、溶かした金属を鋳型に入れ「鋳物」を作るところだ。こちらは歯車から湯気か煙が立つような形である。鍛工所と鋳造所は「明治42年図式」で統合され、前者のハンマーつき歯車記号を「鍛工所及鋳造所」として表すことになった。