静岡県知事に“挑戦状”を突き付けた五輪・柔道銀メダリスト、溝口紀子氏
他のメダリストとは違う人生
── 県の教育に長く携わり、オリンピックのメダリストの顔以上に、教育者の顔が認知されているのですね。 自分でも銀メダリストだということを忘れてしまうくらい(笑)。柔道界って、保守的で世界チャンピオンばかりなので、銀メダリストだからといって大手を振って歩けることもないし、男性だったらナショナルチームのコーチや実業団のコーチなどポストがいっぱいあるのですが、女性ですし、そんなポストも回ってきません。 柔道以外のキャリアをちゃんと積まなければという思いがありました。自分の実力で柔道以外の道を確立しないと生きていけないと現役直後から考えていました。メダリストだから大学教授になれたと思われがちですが、むしろ一から研究者としてトレーニングを積んで今の自分があると思っています、他のメダリストのキャリアとはまったく違う人生を歩んできました。 ── 川勝県政に対する問題意識はどんな点にあるのでしょうか? 前回の選挙で川勝知事は100万票もの票を得て、2期目はすごく強引というか、人の話に耳を傾けない、そういう面が見られたのですね。一番顕著なのは、静岡市長に対するパワハラともとれる言動です。それが周囲に恐怖感を与えている。市町村の首長に恐怖感を与えて閉塞感を生み出し、信頼関係を失わせています。 ── 強権になっている? それだけでなく、海外出張も多く条例を著しく越える旅費の使い方がありました。条例の設定が昔のままで低かったという側面もありますが、コンプライアンスという点で大きな問題を生み、職員の士気を下げ、意識の低下をまねいていることに危機感を感じます。知事は年間を通じて3分の1くらいは静岡におらず、ご自宅も静岡ではなく軽井沢にあるのです。住んでよしとか、働いてよし、暮らしてよしとか言っているのに、本当の理想郷であれば、なぜ軽井沢にいるのですか?
野球場建設問題が発端だった
── 無所属で出馬されるということですが、溝口さんの支援基盤といいますか、どのような人たちが応援しているのですか? 決意に至る素地がありました。浜松の野球場問題です。浜松に県立総合公園を作る計画があったのですが、海沿いの地域で東日本大震災によって延期となっていました。その土地にプロ野球が呼べる野球場を建設する話が突如、持ち上がったのです。私は教育委員会の仕事もしていたし、浜松市のスポーツ振興委員でもあったのですが、事前の議論は一切ありませんでした。 浜松には市民球場があるのに、なぜ、県立球場を作るのか?風が強くホームランが内野ゴロになってしまうくらいの立地です。球場としてだけでなく、防災機能をもたせて津波がきたら球場に駆け上れというのですが、実際に3.11の時に野球場は揺れて上れなかった。しかも、液状化で浸水する地域になぜ野球場を作るのか?スポーツ社会学者の視点から絶対に間違っていると訴え、それが市民運動にまで発展し、その人たちが今も私を支援してくれています。 ── 地域の問題から発展しているのですね 野球場の問題を、知事は浜松市に匙を投げてしまってペンディングになっています。浜松地域は知事を支援するメーカートップの力が強く、知事は静岡市には口出しするのに、浜松には言いなりです。権力の中で県民、市民がないがしろにされているのではないか、県民や市民の声がちゃんと県政に届いているのか危機感を抱いています。 ── 2020年の東京五輪への意識もありますか? もちろんです。オリンピアン、メダリストの知事は1人もいませんので、すごいメッセージになると思います。地方では柔道のキャンプ招致もはじまっています。W杯ラグビーもありますし、スポーツに貢献したいし、知事としてスポーツ界に静岡を売り込みたいですね。 ---------- 【溝口紀子】みぞぐち・のりこ。1971年、静岡県磐田市生まれ。小学4年生で柔道をはじめ、1992年、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得。1996年、アトランタ五輪で準々決勝進出、同年、引退を表明。引退後、静岡県立大学短期大学部社会福祉学科助手を務め、フランスの柔道ナショナルチームのコーチを経て、2005年より静岡文化芸術大学講師、2016年に同教授。2011年より静岡県教育委員会委員を務め、2014年10月~2015年3月まで県教育委員会委員長。