【小中学生の生存率99.8%は奇跡じゃない】津波という「想定外」から身を守るためにできること
親や先生をいかに巻き込むか
2003年に、私は三陸地方の住民の防災意識を調査した。全国的に見ればこのエリアの住民の津波に対する防災意識は高いとはいえ、私は危うさを感じた。それは、行政による災害対策や堤防などの社会資本が充実してくるほど、人間の意識が減退するという矛盾をはらんでいたからだった。 住民はいつの間にか、津波警報が発令されても、結果として「到来した津波は数十センチ」という繰り返しに慣れてしまい、「本当に津波が来たときには、指示された避難所に行けばよい」と思う人が多くなり、さらには「それでも、堤防があるから大丈夫」という油断が生まれていた。 私は、三陸地方の自治体に、共に防災教育に取り組むことを打診した。釜石市が手を挙げてくれた。04年のことだ。三陸地方には100年程度の周期で津波が定期的に来襲する。これは海溝型と呼ばれるプレートのためだ。過去の明治三陸大津波では、釜石町(当時)の人口6529人のうち、4041人が犠牲となっており、同じような事態はいつでも起きうるのだが、ここ最近は津波警報が発令されても市民の避難は低調で、釜石市は危機感を強めていた。そんな矢先に私の申し入れを快く受け入れてくれたのだ。
まずは社会人教育を行おうと、講演会を何度か開催した。だが、来場するのは防災意識の高い、ごく一部の市民ばかりで、広がりに欠けた。その他大勢の無関心層に訴えるため、私は学校教育を糸口にできないかと考えた。 防災教育を毎年受けた小中学生は、いつか成人となり、家庭を持ち、結果的に社会全体の底上げにつながる。子どもを通じて、親や地域社会に教育の成果が広がることも期待できる。 早速、私は市内のとある小学校を訪ね、管理職クラスの先生に防災教育の実施を提案したが、反応は冷ややかだった。英語授業や総合学習への対応に忙殺されて余裕がない、というのが理由だった。また、津波とは関係のない内陸部出身の先生が多かったこともあり、危機感が薄かった。 そこで当時の釜石市教育長に直接相談した。教育長は地元の出身であり、昭和三陸大津波の被害を実際に経験していたことから、防災教育の必要性を理解してくれた。そして、学校の先生への教育が必要だという結論に至り、平日の午後、全校を休校扱いにして、空いた時間帯に教諭向けの防災講演会を実施する機会を与えてくれた。 先生方に私が訴えたことは、防災意識が不十分な今の釜石に育つ子どもたちは、今のままでは次に襲来する津波から逃れられないということだ。そして、その津波は彼等の一生のうちにほぼ必ず襲来するという事実である。自分の命を守ることが何にも増して重要なことと感じ取ってくれた多くの教員が、私の呼びかけに応じてくれ、先生方との連携で防災教育のテキスト開発と授業研究が各校で始まった。