東大初の女性教授が「女性の研究」をキッパリ拒否した理由
● 科学の真理を追求するうえで 女性であることの有利も不利もない 実は中根も「女性として」認められることには無関心であるのみならず、極めて批判的ですらあった。マスコミなどでは婦人問題や女性解放論には興味がないと明言していた(注2)。 東大を退官して間もない1989年には、あるアメリカの学術誌の対談で、自分が東大に入学した時は6000人中18人しか女性がいなかったが、それは「まったく問題ないことだった」と、同期の森山真弓(編集部注/官房長官、文相、法相などを歴任。1947年東大入学。法学部法律学科では600人の中に女性は2人であり、「女が大学へ行っても珍しくない時代に早くなってほしいと思ったものだ」と回顧している)などとはずいぶんと異なる答えをしている(注3)。 女性であるから女性の研究をした方が良いと勧められたかという問いには「そのような提案もありましたが、私はまともな意見として受け止めませんでした。そういう視点には全く興味がありませんでした。私は科学を追究する上で、女性であることの有利、不利を考えるようなことはしません」と述べている。 1980年代に入ると、アメリカの人類学界ではそれまでの研究が男性中心の社会ばかりを提示し、女性の視点が欠如していたと批判されるようになっていたが、それについてもはっきりと「私はそのような研究には反対です」と主張していた。 注2 『朝日新聞』1970年4月15日付 注3 Joy Hendry, “An Interview with Chie Nakane”, Current Anthropology , Vol.30, No.5, 1989, pp.643-649.
女性は社会の一部なのだから、ことさらに女性の視点を取り上げるのではなく、「社会の中核にある主要な制度」を大局的に考えるべきだというのである。 ● 「タテ社会」への壁はあるが 内部はアメリカよりもフェア 中根にとって、日本社会の「主要な制度」は「タテ社会」だった。「日本の村を調査したときに見た寄り合いでのやりとりと、東京大学で見た教授会のやりとりが同じだった」(注4)ことからタテ社会論の着想を得た中根は、戦後日本論の傑作とされる『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』(講談社現代新書)を1967年に発表した。これはその後「日本社会(Japanese Society)」として多数の言語に翻訳され、海外における日本社会論に今日まで深い影響を与えてきた。 このタテ社会において、中根は男女の区別は重要ではないと考えていた。日本の「タテ社会」の構造にいったん組み込まれてしまえば、女性であることはその社会の内部では障壁にはならないのである。社会で重要なのは階層や秩序であり、性差はさほど重要ではない。 晩年のインタビューで中根はこのようにも語っていた。 タテのシステムに入るのに壁があるのは事実です。これまで多くの人が苦労もしてきました。ただ、階層のはっきりある社会とくらべてみると、一度なかに入ってしまえば、上に行けないわけではないし、皆も同等な取り扱いをするのです。私の経験でいえば、アメリカでは、最後まで女性という性がついてまわります。 注4 『朝日新聞』2021年11月6日付