5月5日の男の子の節句が、なぜ「こどもの日」? そもそも男女も関係なかった日
5月5日の男の子の節句に向けて、男の子のいらっしゃるお家では、鯉のぼりを掲げたり、鎧兜(ヨロイカブト)を飾ったりされているのではないでしょうか? 「東大生の幼少期の習い事、1位が水泳、3位が野球。では2位は…? しかし、5月5日は男の子の節句なのに、なぜ「こどもの日」という名称なのでしょうか? 神社・お酒・歌舞伎・相撲など日本文化の様々なルーツがあるとされる山陰地方(鳥取・島根)で呉服店「和想館」を経営。「君よ知るや着物の国」(幻冬舎刊)の著者で、和と着物の専門家、池田訓之氏が意外と知らない「こどもの日」について解説します。
3月3日も5月5日も節句の一つ
そもそもこの節句とは、同じ数字の奇数が重なる日をさします。中国から入ってきた、この世は陰陽からなるという陰陽説の考え方によると、奇数が「陽」で偶数が「陰」になります。なぜなら、奇数は余るので変化し発展できるが、偶数は余りがなく停滞してしまうからです。
ただ、同じ奇数が重なると力が強すぎて災いを呼ぶ恐れがあるということで、邪気払いをする節句という風習ができました。1、3,5,7,9の重なりで年に五節句があります。奈良時代に中国から入ってきて、貴族から武士へ広がり、江戸時代には五節句は祝日と定められて庶民にまで広まりました。 明治6年に暦が旧暦から新暦に変わり季節が約一カ月ずれてしまうことから、節句は祝日からはずされたのですが、今も人々の習慣に根付いているというわけです。 それぞれの節句は数字的に縁起が良くない日であるとともに、実際には季節の変わり目で体調を崩しやすい頃です。ということでその頃に力のある草花を用いて清めをします。3月3日が別名桃の節句と呼ばれるのに対して、5月5日は菖蒲の節句と呼ばれています。
そもそも5月5日は男女とは関係なかった?
このように、そもそもは5月5日は男女関係なく菖蒲で邪気払いをする日だったのですが、鎌倉時代になると、武道を重んじるという意味の「尚武(しょうぶ)」と読みが同じであることから武士の間では、男の子が生れると、健康や成長・出世を願い盛大に祝うようになりました。 江戸時代になると、公家のひな人形遊びが庶民にまで流行し、3月3日は邪気払いに加えて女の子のお祭りとなります。これに対抗して、5月5日は武士にとっては男児の祝いだったこともあり、男の子のお祭りと意識されるようになり、色々な品が飾られるようになりました。