【箱根駅伝】往路は「100点満点」の中大、吉居駿恭と本間颯が区間賞、"5年生"園木大斗の姿に藤原正和監督「感慨深かった」
本番前は正当な理由以外での外出禁止を徹底
2区以降を走った選手たちは、吉居が作った流れをつなげていった。自身初の「花の2区」を担った溜池一太(3年、洛南)が順位をキープし、3区の本間颯(2年、埼玉栄)は「1区からのいい流れに乗って行けました」と1時間00分16秒の好タイムで区間賞を獲得。藤原監督は「本間で引き離せたのは大きかった」とねぎらった。 本間によると、自身もチームも、箱根駅伝直前の体調管理に最大限の気を使ってきたという。昨年は本番まで約1週間となった時点から、エントリーメンバー16人中14人が、次々に体調を崩した。 「寝る前はいつも、翌日にのどが痛くなったり、発熱したりしないか不安でした。朝起きて無症状だとホッとする。その繰り返しでしたね。そうやってコンディションに配慮し続けたことが、区間賞につながったかなと。チームとしても、正当な理由以外での外出禁止を徹底し、クリスマスの時期もメンバーだけでなく、全員が外食を我慢してました。我慢が結果に結びついたのは今後にも生かされると思います」 藤原監督は昨年の経験があったから、今回の結果をつかめたと考えている。 「昨年は本当に苦しかったです。でも、選手たちは苦い経験を糧に立ち上がってくれました。私自身も苦しかった中で指導者として成長できました」
”5年生”園木大斗「覚悟を決めて5区を志願」
昨年の4年生は無念な気持ちを抱えながら卒業していった。その姿をよく知っているのが、園木大斗(4年、開新)だ。箱根駅伝を走るために1年卒業を延ばし「同期」の思いも胸に5区を走った。 5区は園木にとって、残された最後の道だった。「昨年の9月に左ひざを故障して、下りと平地の練習が難しくなったんです。でも、上りならできる。ここで箱根を諦めたら、金銭的な負担もかけている親に申し訳なく、自分も一生後悔すると思い、覚悟を決めて5区を志願したんです」 山梨・西湖合宿では毎日、富士山を登り、合宿以降も2週間に1回は、富士山の標高1000mから2300m付近でトレーニングを積んだという。そこは最高地点が約874mの5区より酸素が薄い。園木は「初めての箱根が5区でしたが、きつさは感じませんでした」と振り返る。 ただ、最初の3kmをハイペースで入ってしまった。「後ろに青山学院大学の若林君(宏樹、4年、洛南)がいたので、逃げなきゃと突っ込んでしまったんです」。そこでエネルギーを使い過ぎてしまい、その後の5kmは記憶がないと言う。何とか持ちこたえ、目標としていた1時間10分台はできなかったものの、区間6位でまとめた。 「大ブレーキにならず、最低限の仕事はできたと思います」。安堵(あんど)の表情を浮かべた園木について、藤原監督は「順位は一つ落としたが、若林君と区間2位の工藤君(慎作、早稲田大学2年、八千代松陰)の間に挟まれながら、粘り強く走ってくれた」とたたえた。 藤原監督は園木が襷(たすき)をかけて走っている姿を見て、涙腺が緩んだという。 「感慨深かったですね。もともと1年生の時から箱根予選会を走っていた選手。能力は高かったんですが、本戦では出番がなかった。5区で起用したのは、卒業を延期したことへの温情ではなく、タイムを伸ばしたからです。〝5年生〟でありながら、1年生ともコミュニケーションを取る人間性も評価してます」 園木の疾走は昨年までの同期だけでなく、新チームの中心となる3年生以下の選手たちの目にも、焼き付いたに違いない。