ディズニーランドと一直線につながる”意外な宗教”とは…伝統芸能やサブカルのなかで生き残る「日本人の精神」
現代では「信仰心」が薄れ、宗教の伝統も失われた。日本人は「生きる意味」も見失ったのか? それとも、宗教に代わって、サブカルチャーが日本人の心を癒すのか? 大澤真幸(社会学者)と釈徹宗(宗教学者・如来寺住職)による特別対談をお送りします。 【画像】死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い おおさわ・まさち/長野県生まれ。元京都大学教授。『ナショナリズムの由来』で毎日出版文化賞、『自由という牢獄』で河合隼雄学芸賞を受賞。著書多数 しゃく・てっしゅう/大阪府生まれ。相愛大学学長。NPO法人リライフ代表。『落語に花咲く仏教』で河合隼雄学芸賞・仏教伝道文化賞・沼田奨励賞を受賞
サブカルが神話を取り込む
釈この十数年で、仏教や神道など伝統宗教も、また新宗教も信徒の減少で急速に形を変えました。その中で近年、宗教のエンタメへの接近が目立っていると感じます。 たとえば、スタンプラリーのような御朱印帳を作る神社や、ゆるキャラを使って宣伝するお寺も珍しくありません。実際、若い人はゲームやアニメといったサブカルチャーを通して宗教的なものに親しんでいるようです。 大澤仰るとおりで、じつは昨今のサブカルチャーでは、古い神話の物語構造や小道具を換骨奪胎して使う作品が増えています。たとえば'22年の大ヒットアニメ『すずめの戸締まり』(新海誠監督)は現代劇ですが、主人公の名前が『古事記』からとられ、日本の神話がモチーフになっている。 さらに同じ新海監督の『君の名は。』でも、飛騨の気多若宮神社や東京の須賀神社が舞台とされています。ファンはそれらを「聖地」と呼んで、観光していますね。
日本に訪れた「虚構の時代」
釈もともと日本では、芸能と宗教が混然一体となって発展してきました。神楽や能は言うまでもありませんが、落語にも、江戸時代に世俗化した仏教が入り込んだ。現代でも、人気のサブカルチャーに宗教的要素が取り入れられているのですね。 大澤サブカルチャーは虚構ではありますが、現実を読み解くうえで非常に役立ちます。そこには、日本人の精神史が映し出されるからです。 私は、戦後日本には3つの段階があったと考えています。「理想の時代」、「虚構の時代」、そして「不可能性の時代」です。戦後しばらくは「理想の時代」、つまり理想に現実味があった。 釈高度成長期には、経済的に豊かになり、「明日は世の中がもっとよくなる」と皆が思っていた。 大澤それなりの企業に入り、立身出世し、一戸建ての家を建てることが理想とされた時代です。 しかしその後、次第に理想は輝きを失い、日本人はフィクションを精神的な拠り所にするようになった。これが「虚構の時代」です。その象徴が、'83年に開業した東京ディズニーランドです。 釈虚構の空間で、子供から大人まで遊ぶことができる巨大エンターテインメント施設ですね。 大澤そして、その「虚構の時代」の果てにオウム真理教が生まれます。虚構のユートピアを現実世界で生み出そうとして、彼らはテロを起こした。オウム真理教は、サブカルチャーと強く結びついた宗教観を持っていたことでも知られています。 後編記事『『鬼滅の刃』に込められた日本人の潜在意識とは何か…スマホ・タイパ・お遍路にみる「ニッポンの病理」』へ続く 「週刊現代」2024年10月26日・11月2日合併号より
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