コロナ禍でも右肩上がりの外国籍町民。約50カ国から人が集まる神奈川県央部の「異国」愛川町
「入管やビザ、書類関係も多いけれど、結婚や離婚、子どもの進学などについての相談も多いです。最近はワクチンについての問い合わせも増えました。大変だけど、自分も日本に来た時は大変だったから、できるだけお手伝いして(日本での暮らしを)楽にしてあげたい」 時には入管に付き添ったり、病院を紹介したりと公私ともに外国籍住民を支える。現在、愛川町役場には岩根さんを含め2人の相談員が週5日勤務しているほか、112の言語に対応できる対話型の翻訳機も設置済みだ。 一方でもともとの住民である日本人のケアも怠らなかった。端的な例のひとつがゴミの出し方。日本のゴミの分別、自治体指定のゴミ袋、曜日別のゴミの日など、細かなルールは世界的にも厳しいと言われている。 「文化の違い、生活習慣の違いで戸惑うことが多いのは理解しています。それでも町民として暮らしていくからには最低限のマナーは守ってもらわないといけない」(前出・佐藤さん)
スペイン語やポルトガル語、ベトナム語やタイ語など7種類の言語で収集日や分別のルールを収集カレンダーに明記し、配布と掲示を行っている。大きなトラブルもほとんどないと佐藤さんは言う。 「住み始めの頃は戸惑うこともあったでしょうが、ルールを守ることで周囲の日本人の住民の信頼も得ていったと捉えています」 佐藤さんの言葉どおり大きな事件や混乱はなく、愛川町は多文化共生への地歩を固めてゆく。
2008年のリーマン・ショックで世界が金融危機に見舞われても、2011年に東日本大震災というそれぞれの母国ではおよそ遭わないはずの未曽有の災害に遭っても、多くの外国人は愛川町にとどまった。国によっては帰国を促す航空券を発行するケースもあったというが、「特に東日本大震災の時は帰った人は少なかった記憶があります」と岩根さん。 「企業や会社によっては最低限の雇用を守ってくれたと聞いています。やむなく職を失った人に仕事を紹介しようとする日本の人も多かったですね。みんな横浜や相模原、県外では浜松などに住む外国人と連絡は常にしていますから、それぞれの国に帰るよりも、ここにいれば役に立つ新しい情報が得られたからだと思います」 遠い母国からの要請よりも、口コミという生きた情報を信じ生き抜いた。同胞もいるし、頼りになる通訳の存在もある。なによりも外国人を受け入れてくれる土壌が愛川町には育まれている。様々な言語による口コミでそれが伝わり、「ここ、愛川町にいればなんとかなる」、そのような認識が日本に興味を持つ外国人の中でも芽生え始めた。