コロナ禍でも右肩上がりの外国籍町民。約50カ国から人が集まる神奈川県央部の「異国」愛川町
「ブラジルタウン」と呼ばれる群馬県大泉町のように、ある国、あるいは特定の地域の外国人住民が多い自治体は日本にも増えたが、愛川町のように、同じ町内に中華料理店や韓国料理店、タイ食材専門店など、アジア人が経営する飲食関連の店舗がひしめくケースは珍しい。 多様性に加え、外国籍住民の増加率も顕著だ。 1989(平成元)年で257人と人口の0.7%程度の状況から、30余年で10倍以上に。その間、2008年のリーマン・ショック、2011年の東日本大震災、そして近年の新型コロナウイルスの蔓延という、人口動態にも大きく影響する出来事があったにもかかわらず、だ。 人々はなぜ愛川にたどり着き、この地に安息を見いだしたのか。
金融危機も大震災も何のその、増え続ける外国籍の町民
愛川町が近隣の町村と合併を繰り返し、今の大きさになったのは1956年のこと。その10年後、関東でも最大規模の工業団地「神奈川県内陸工業団地」が稼働をはじめる。 もともと桑畑があった広大な敷地は戦時中、相模陸軍飛行場となった。戦後、土地制限が解除されたことを背景に、工業団地へ転用される。首都圏からのアクセスが至便なこと、豊富な水源があることなども背景にある。高度経済成長末期の大手企業の郊外進出なども相まって、工業団地は順調に拡大を続けた。 近年は圏央道の延伸もあり、首都圏の流通拠点としての機能も加わった。現在では140社以上の企業が入り、同時に外国人労働者の受け皿ともなっている。 「外国人労働者、外国籍町民の増加でいえば転機はやはり、平成2(1990)年の入管法改正以降ではないでしょうか」 そう語るのは愛川町 総務部企画政策課企画政策班、佐藤凜平さん。入管法改正で定住者としての在留資格が新設され、特に南米系日系人労働者の受け入れが進んだ。1993年には外国人技能実習制度が創設。90年代を通じて、全国で在留外国人は増加の一途をたどる。 愛川町もその例に漏れず、95年に外国人住民は1000人、2000年代に入ると2000人を超えた。2006年、外国籍の町民が2500人を超えたところで、町役場は様々な施策を講じる。 まずは言語の問題、通訳の確保だ。スペイン語とポルトガル語の通訳をする外国人専任の相談員、岩根美智恵さんを採用する。岩根さんはブラジル・サンパウロ出身の日系ブラジル人で、夫が内陸工業団地に職を得たことをきっかけに来日。現在は大和市在住だが、22年間、愛川町で暮らした。