考察『光る君へ』31話 一条帝(塩野瑛久)の心を射貫くのだ! まひろ(吉高由里子)の頭上から物語が美しく降り注ぐ歴史的瞬間。しかし道長(柄本佑)は困惑気味
決めた!ターゲットは帝!
完成した物語を読んで、楽しそうに笑う道長を見て(違うな……コレジャナイ)となる、まひろ。中宮様に響くかどうか、それが疑問であると。 そして本当は中宮様にではなく、帝に献上するつもりだと聞いて 「そうとなったら話は別だ!やっぱり違う、この物語じゃないわ!」と目がギラギラと輝く、まひろが凄かった。政治利用されるとかそういう問題は脇に置いてしまう。畏れ多いと慄くのでもない。とにかく読み手に作品を届けるのだ、その心を射貫くのだ!という情熱。 大河ドラマの主人公というのは、歴史に名を残すだけあって普通の人間とは異なる……はっきり言えば、一本も二本もネジがブチ飛んでいる人物がほとんどだ。その意味では、まひろという女も、ここぞという場面でネジがブチ飛んでいる。最高権力者・藤原道長が幼い頃から知っている人間だとはいえ、更にその上、雲の上の存在である帝をイチ読者としかみなしていない。ヤバい。これぞ大河ドラマのヒロインである。 ターゲットとする読者・一条帝のことを、生身のお姿を知りたい、話してくれと道長に頼むまひろ。帝とその周りのことを生い立ちから知るのに、藤原道長ほど適切な取材相手はいるまい。なにしろ帝と、帝の最愛の后・定子の双方の叔父だ。 他に知り得ない、帝とその周りのことを道長が語り尽くした頃には日が暮れかけていた。 そして昇る月。ふたりで月を見て、ふたりしか知らない直秀(毎熊克哉)のことを語りあう。 月を見上げる時、人は己の孤独を改めて知り、同時に誰かがこの月を見ているかもしれない、己は一人ではないという微かな希望を抱くのだ。
1000年読み継がれる物語の誕生
美しい紙を前にして座ったまひろに、天から光が降り注ぐ。 幼い頃から学んできた漢詩。母の死。代筆屋として市井に生きる人々のために詠んだ和歌。直秀の思い出。宣孝から受け取った言葉。皆が楽しんでくれた『かささぎ物語』。道長と交わした手紙と愛……全ての知識と経験、これまでの蓄積が、まひろに物語を書かせる。1000年読み継がれる物語──大きな河となるはじめの一滴。それが生れ落ちる瞬間の表現が美しい。 『源氏物語』は書かれた年月日も、どのように誕生したのかもはっきりとわかっていない。ただ一条帝の時代、中宮・彰子に仕える「紫式部(藤式部)」と呼ばれた女性が作者なのだということだけが伝わる。彼女が書いたのはやんごとなき人々の光と影、生身の人間の悩みと苦しみ。その物語は、我々の心を捉えてはなさない。 歌詞がよくてヒットする現代の曲にも通じるが──平成後期から令和にかけての今であれば、星野源や米津玄師がそうだろうか──傑作の文学作品は読んだ人に「これは私のための作品だ」と思わせる。『源氏物語』には愛し悩み苦しむ人々が「これは私のための」となる、その力がある。なぜなら、いつの世も明るく幸せに生きている人より、悩み苦しむ人のほうがはるかに多いのだから。