しりあがり寿さんと河野真弓さんが語り合う、看板の面白さ。
しりあがり それは大作でしたね。河野さんの作品を見ていると、もっと世の中のいろんなものをチョークアートにできそうな気がしてくるな。 河野 チョークのいいところは、皆にとって馴染みがあるところだと思うんです。誰でも絶対に触ったことがあるものですし。
しりあがり 学校の黒板に落書きとかしていたしね。 河野 だから看板の内容に興味がなくても、チョークで描いているということだけで見てもらえるんです。前に秋葉原の駅でアニメの看板を描いていたら、アニメを知らなさそうな年配の女性がずっと見てくれていました。チョークなんだと気づくと親近感が湧いて、自分もできそうと思ってくれるのかもしれませんね。
古くて錆びついた、朽ちそうな看板が好き。
河野 しりあがりさんにも、板に絵を描く「板絵」シリーズがありますよね。作品によっては、ところどころに焼けた跡がありますが、あれは本当に焼いているんですか? しりあがり そう、軽く焼いたり削ったりしてます。僕、看板は古くて朽ち落ちそうなものが好きなんです。ブリキの錆びた看板とかね。自分の漫画でもバッドエンドのものが多いし、板絵でも「劣化」を表したいと思って。でも、焼くっていうのはちょっと違う気が最近してきたんです。 河野 どういうことですか?
しりあがり たとえば黒板のチョークが消えていくのって、チョークとそれ以外の差がなくなって、調和して無になるでしょう。なんだか悲しくていいじゃない。でも焼くとそこに闘いみたいなものが見えちゃう気がして。「なくなってなるものか」っていう意志みたいなものがね。だから本当は経年劣化っていうか、腐らせたいんだけど、そうすると画廊で売れないだろうし……。 河野 確かに(笑)。そもそもどうして板に描こうと思ったんですか?
しりあがり 漫画って紙に描くけど、実はゴールはそこじゃなくて、読者の頭の中に作る架空の世界なんですよね。そういう曖昧な物語の世界ではなく、存在する「もの」の世界を作ってみたかった。 河野 なるほど。板も、触ったら確かにそこにある「もの」ですよね。ちなみにしりあがりさんは今までに見てきた中で印象に残っている看板ってありますか?