【毎日書評】「孤独な私」を捨て、「『私たち生きもの』の中の私」になれば、目の前はパッと開ける
『人類はどこで間違えたのか-土とヒトの生命誌』(中村桂子 著、中公新書ラクレ)のサブタイトルにあるのは、「生命史」ではなく「生命誌」です。聞きなれない方もいらっしゃるかもしれませんが、著者によれば生命誌とは、生命の歴史物語を読みとること。 その概念を理解するために役立ちそうなのが、Biohistoryという英語表記です。“history(歴史)”ということばが含まれていることからもわかるように、ここには「誌(しる)す」という意味もあるのだとか。つまり私たち人間の過去を誌していくとそれが歴史になるわけで、生きものの本質はそういった視点を持ってこそ明らかになるというわけです。 そして、そのときに欠かせないのが「世界観」。その意味については、哲学者の大森荘蔵氏の著作『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫)からの引用が用いられています。 「元来世界観というものは単なる学問的認識ではない。学問的認識を含んでの全生活的なものである。自然をどう見るかにとどまらず、人間生活をどう見るか、そしてどう生活し行動するかを含んでワンセットになっているものである。そこには宗教、道徳、政治、商売、性、教育、司法、儀式、習俗、スポーツ、と人間生活のあらゆる面が含まれている」(「はじめに──本来の生き方を求めて」より) また著者は、「わたしは『生命誌的世界観』を持っています」と述べています。それは、「人間は生きものである」という科学が明らかにした事実を踏まえた世界観。 わたしは「地球上には多様な生きものが暮らしており、それらはすべて40億年の歴史を持っていること、そして人間は生きものの一つであること」というところから出発する「生命誌」を提唱していますので、ここでは、生命誌から生まれる生命誌的世界観を呈示していきます。(「はじめに──本来の生き方を求めて」より) この点について認識するために、第一部「生命40億年『私たち生きもの』の中の私」を確認してみましょう。