ペットのための医療の発達で、寿命が延びた。不治の病になったとき、安楽死させるのは間違いか
◆ペットが教えてくれるお別れの時 とはいえ、家族と同様に大切な存在だからこそ、命を終わらせるというのは難しい決断でしょう。ペットと話ができて、希望が聞けたらどんなにいいか……。安楽死を決めたとしても、そのタイミングをいつにするのか、お別れの時期の見極めもとても難しいものです。 私自身、飼っていた犬ががんになり、治療法が尽きて安楽死を提案されたことがあります。その際、獣医からこんなことを言われました。「最後は安楽死をさせるべきでしょう。その時期は本人が教えますよ」と。ペット自身がお別れの時を教えてくれる、飼い主ならそれがちゃんとわかるというのです。それからしばらくして、その意味がわかりました。私の愛犬は、散歩と食事、そして飼い主である私との交流を何よりの喜びとしていましたが、それらを順番に失っていったのです。以前なら足が不自由でも散歩に行きたがり、私が体を支えてあげるとなんとか歩いて外に出ようとしていたのが、しなくなりました。 次に大好きなおやつを口元に持っていっても興味を示さず、食べる意欲もなくし……。やがて私が体をなでても痛がるような声を出すだけになり、もう痛みと苦しみしかないとわかったのです。いよいよお別れの時が来たのだと感じ、安楽死を決断。もちろんこれは私の愛犬の場合です。それぞれのペットによって、また動物の種類によって、何が喜びで何が苦しみかは違うでしょう。それは飼い主とペットとの日頃からのコミュニケーションでしかわからないことだと思います。つまり、飼い主だからこそペットが教えてくれるお別れの時がわかる、ということなのです。
◆安楽死を選ぶ動機が大事 愛するペットが病気で苦しむ姿は、飼い主ならば見たくないでしょう。間違えないでほしいのは、ペットが苦しむ姿を見ている自分がつらいから安楽死を選ぶのではいけません。スピリチュアリズムでは自己中心的な考えや行動を小我と言いますが、自分がつらいからという動機は小我そのものです。 一方で、相手のためを思う利他愛は大我と言います。ペットを苦しみから解放してあげたいという思いは大我でしょう。ペットの安楽死という結果は同じでも、その動機が小我か大我かによって、たましいの視点ではまったく違うものになるのです。そういう意味では、ペットが苦しんでいるのに、一日でも長く一緒にいたいという自己満足のために安楽死を選ばないのもエゴであり、小我です。 昔に比べるとペットを取り巻く飼育環境や医療技術がよくなったことで、ペットもずいぶんと長寿になりました。以前より治療法の幅が広がったぶん、飼い主はいろいろな選択を迫られるようになったと言えます。安楽死もその一つかもしれません。ペットとの別れは、どんな形であれつらいものですが、飼い主からたくさんの愛情をもらい、幸せな日々を過ごしたことは思い出としてペットのたましいにも刻まれています。そのことは忘れないでほしいですね。 (構成=やしまみき)
江原啓之