ペットのための医療の発達で、寿命が延びた。不治の病になったとき、安楽死させるのは間違いか
スピリチュアリストとして、さまざまな角度から読者のお悩みに答え、生きる指針を示してくれる江原啓之さん。現在は熱海に在住し、ていねいな暮らしをしながら日々「生きる上で大切なこと」を発信し続けています。『婦人公論』のリニューアルにあたって始まった新連載「〈幸せぐせ〉を身に着けよう」。第36回は「年老いたペットが余命宣告。苦痛から解放するため、安楽死を勧められて」です。 * * * * * * * Q 年老いたペットが余命を宣告された。 苦痛から解放するため、安楽死を勧められ A)安楽死は選ばず寿命まで見守る B)苦しみを取り除くためアドバイスに従う ◆動物は言葉で伝えられない 読者のなかにはペットを飼ったことがない方もいらっしゃると思いますが、ぜひ一緒に考えてください。ペットを飼っている友人や知人の気持ちを少しでも理解するきっかけになるはずです。今回のテーマは、獣医からペットの余命を宣告され、安楽死を勧められたとき、どうするか。あなたなら、どちらの道を選びますか。 今回の幸せぐせはB。つまり、安楽死を選ぶ、です。 読者のなかには「スピリチュアリズムで考えるならば、たましいが卒業を決めるまで、肉体の死を選ぶのはいけない行為では?」と考える方もいらっしゃるでしょう。人間の場合は、その通りです。余命が限られ、もはや根本的な治療法がない場合は、自分の意思で緩和ケアを選び、痛みのコントロールなどをしながら寿命をまっとうする尊厳死を選ぶのがスピリチュアリズムの考え方。しかし、動物は人間のように言葉で、「痛い」「苦しい」などと訴えたり、こうしてほしいと治療の希望を伝えたりすることができません。 加えて、動物への医療は人間と同じほど発展しているとは言いがたく、緩和ケアも人間と比べると限界があるでしょう。人間なら治療できるケガであっても、動物には苦痛しか残らないケースがあります。骨折した馬の多くが安楽死させられるのはそのためです。つまり、動物にとって何がいいかを考えた場合、苦痛しかない時間を少しでも短くしてあげられる安楽死は、たましいの視点から見ても「あり」の選択肢なのです。