「女子御三家→早稲田大」の22歳女性が「MARCHでも人権ない」発言で炎上…真意を聞いてみた
「自分だけは自分の味方でいたいな」と思う
――最後に、ゆいにゃさんの目を通して見える社会、そこから描く将来像について教えてください。 ゆいにゃ:たとえば大企業を2ヶ月で退職するとき、現在のようなSNSでの発信をメインに活動すると決めたとき、さまざまなことを自由にやらせてくれた親ですら眉をひそめて私に忠告をしました。あのとき、親に「黙って!」と言ったのを覚えています(笑)。 確かに、世の中には「◯◯すべき」「◯◯であらねばならない」という不文律が多く、そこから外れた生き方をするのは不安が伴います。「あいつ失敗してるよ」という知人からの嘲笑に耐えないといけない場面もあるでしょう。でもだからこそ、自分だけは自分の味方でいたいなと思っています。同調圧力に身を任せて刹那的な安心が得られたとしても、納得のできない人生を生きるのは結果的に辛いと思うんです。 とはいえ、22年間押し殺してきた自分の心の声に向き合えるようになったのは私もここ最近で、「これからどうしたいのか」は未だ模索中です。でも1つだけ言えるのは、生きがいを探して生きているほうが生きている実感があるということです。そして不思議と、そういう目で見たら、自分に興味を持ってくれる人、応援してくれる人を何とか楽しませたいなと思えるんです。 世間的には至極真っ当な忠告をして、「黙って!」と私に言われた親も、今では「あなたがしたいことをしなさい」と応援してくれています。そんなとき、自分がいかに恵まれているか、その幸運に心から感謝します。 ===== もがき、爪痕を残しながら進む姿はあまりに生々しくて、逆にコミカルにさえ思える瞬間がある。ある種の切迫感がなぜか笑いを誘うように、生きることの根源に立ち返らせてくれるからかもしれない。 ゆいにゃ氏は決して強くない。挫折のたびに心は折れる。不吉な予言をすれば、これから幾度も折れるだろう。だが折れながら進む方法を知っている。「このままでは終われない」という身体の底から湧き上がる念が、よくいるエリートのひ弱なプライドでは説明がつかないほどの熱を帯びる。 どんなに転んでもいい。転がりながらでも目的地を目指す。炎上すら足がかりにして自分の存在を証明するうら若き乙女に、そんな不屈を見た。 <取材・文/黒島暁生> 【黒島暁生】 ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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