「お前が殴ったと他の者が言っている」米兵の十字架を建てた兵曹長は偽りを書いた~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#40
口述書に偽りを書いた
福岡で調査の際は私が何遍、真実の事を話しても、他の者がお前が殴ったと云う、お前が嘘をついていると云って、調査官に右手で首を絞められ、左手で頬を殴られ、私は真実を話しているのに、真実を云わなければ、いつまでも刑務所に入れて置くと云われましたので、私は致し方なく真実でない、自発的に2回殴ったと口述書には偽りを書きました。私の持っていた物差しは、被告人の○○が作ったものであります。彼は良く知っています。
藤中の一突で・・・
3、「且つ之を銃剣をもって突刺したる事により、該俘虜を故意且つ不法に虐待酷遇し、殺害し、且つ死体を毀損せり」という部分について突刺の時の状況を申し上げます。榎本中尉の「皆突け」という命令で、一番に藤中が突刺しました。この時、飛行士が「ガクン」として頭を前に倒し、体全体の力が抜け、膝は曲がりました。藤中の一突で完全に死んだと確信しています。この事は、現場にいた皆の者が良く知っていると思います。二番目に成迫が突刺しました。この時、飛行士の体には何の反応もなく、前同様だらりとして居りました。次に榎本中尉が、説明をして突刺しましたが、飛行士の体は何の反応もありませんでした。 〈写真:福岡の土手町刑務支所〉
引っ込んでいないで「模範を示せ」
二十人位突刺したと思う頃、榎本中尉が私に「炭床兵曹長、引込でいないで、模範を示せ」と命令しましたので、私は近くにいた兵の銃を取り、ただ、命令通り、機械的に一回突刺しました。私が突いた後、5、6名の兵が突いた様に記憶します。私は前述の通り、榎本中尉の命令により、飛行士の遺体を一回突刺しましたが、これは絶体命令により、真にやむを得えない行動であります。起訴項目にあるような罪は決してありません。
3個の十字架を建てた
4、処刑の翌日以後、私の行った事を考慮までに申し上げます。翌日私は高さ約30センチの十字架を3個作って日没後、人に知られない様にして墓地に行き、墓地の草の中に3個の十字架を並べて建て、花を供え、念仏を唱えて帰りました。その後、毎週日曜毎に日没後、墓に詣って、花を供え、念仏を唱えました。これは昭和20年7月初旬まで続けました。その後、私は与那国及び台湾へ出張を命じられましたので、墓参りはできませんでした。昭和20年10月、台湾から帰り、墓に詣って、墓は発掘され、3個の十字架がなくなっているのに気づきました。私は、十字架は遺体の処置を行った時に発見され、遺体と一緒に焼かれたのだろうと思われました。 〈写真:現場付近(石垣市)〉 殺害された3人の十字架を作ったという炭床兵曹長。しかし、事件の隠蔽のため、遺体は掘り起こされ、燃やされて海に流されていたのだったー。 (エピソード41に続く) *本エピソードは第40話です。