ネット配信作は「非映画」か――それでも「資金を回収できないと次が作れない」、行定勲の決断【#コロナとどう暮らす】
今回のショートムービープロジェクトは、近日中に3作目の公開が予定されている。 「『映画館に行く日』という映画を作ります。真夜中の部屋で一人観て泣くという体験もいいけれど、やっぱり映画は、映画館に行くまでの道のりから、家に帰るまでの記憶が込みの体験であってほしい」 「僕はNetflixでアルフォンソ・キュアロンの『ROMA/ローマ』(2018年)を観て、『何だ、このラストシーンは』と感動して、映画館に足を運んで、もう一度観た。スクリーンから受け取る情報量が配信とは全く異なるので、ラストを知っていても別物として楽しめた。その時、僕の中で『映画館は絶対に失われない』という意識がさらに強まった――『劇場』のラストシーンにも“ある仕掛け”を用意しています。それはやはり映画館で観てもらうことを前提に、あたかも観客が物語のなかの“劇場”にいるように感じてもらえるよう設計したつもりです。配信で観た人も、ぜひ映画館で観てほしい」
さまざまな仕組みが変わる時期に差し掛かっている
観客、作り手、配給、映画館、そして動画配信サービス。最後に、この5者のアフターコロナにおける理想的な関係性について聞いた。 「とにかくこれまでのように映画が作られて、スクリーンで見てもらうことが僕のなかでは最も重要で絶対です。それがありつつ、セパレートした形でどう配信と共存していくか。“多様性”という発想で作品を扱っている配信会社は、もはや世界全体を一つのポットとして考えている。ともすれば世界中に配信される可能性があるのだから、作り手の意識も当然のように変わってくる」 「一方、日本映画の配給は、どうしても目の前の一作がヒットするか、しないかでジャッジされてしまう。僕がいま一番危惧しているのは、日本の映画会社が『もう確実に当たる映画しか作りません』といった姿勢になってしまうこと。僕はいまだに企画を出した瞬間、配給側の人から『これ、観客、来ますか? ヒットしますかね?』とよく言われる。もちろんたくさんの人に観てもらうつもりで作っているし、ヒットを狙うことも嫌いじゃないけど、本当は愚かな考え方だと思うし、『そんなの分かんねえよ』とも思う」