ネット配信作は「非映画」か――それでも「資金を回収できないと次が作れない」、行定勲の決断【#コロナとどう暮らす】
「作品は映画祭を通じてさまざまな国々の人に知ってもらい、『うちでも上映したい』と手を挙げてもらう。でも今回は従来の順番に習わず、日本と本国のAmazonの判断で一気に200カ国以上もの配信が決まった。僕の過去作でも、『GO』(2001年)や『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)で、たしか最大60カ国ぐらいだった。コロナ以前には想像もつかなかった」 当初、Amazon Prime Video側は、自社サービスでの独占公開を『劇場』の製作委員会に申し出ていた。だが、行定は映画館の上映にこだわった。 「僕の意向をAmazonに理解してもらい、映画館での同時公開にもオーケーを出してもらいました。僕としては映画館の今後につなげたいという思いもあった。映画館側も、作品の力を信じてくれたから、配信があっても上映を決めてくれたのだと受け取っている。あとは、これを映画関係者がどう捉えるかが大きい」
現在、日本映画製作者連盟は、まず映画館のみで公開される作品を“映画”と規定している。つまり『劇場』は、日本映画の定義から外れた“アザー・デジタル・スタッフ”(ODS)と呼ばれる“非映画コンテンツ”として扱われる可能性がある。例えば、日本アカデミー賞の選考基準には、「先に配信、TV放送されたもの及びそれの再編集劇場版は新作映画とみなしません」と記載されている。同日公開についての明確な言及はない。 「昔からの決まり事だし、自分で選んだ道なので『映画ではない』と言われてしまえば『そうか』と納得するしかない。ただ、(映画扱いされない作品に出演したことで)俳優の評価の場が奪われてしまうのはつらい。やっぱり、彼らの演技が良いと思ってもらえるのなら、一つでも二つでも評価を与えてほしいという願いもある」 行定は、「誰がどういう観点から、作品を観て『これは映画だ』と決めるのか、そんなこと、今まで考えもしなかった」と苦笑する。 「僕自身、日本映画界に育ててもらったと思っているし、むちゃくちゃなことをしているつもりはない。体制に反旗を翻すつもりも、革命を起こそうというつもりも更々ない。結局は、作った人間が『これは映画だ』と胸を張って言えるかどうかだと思う」