30周年を迎えた「新横浜ラーメン博物館」はノスタルジーで味わい増し増し
先日、改めて「新横浜ラーメン博物館」へ足を運び、そして、相羽さんにお話を伺いたくなった。 「相羽さんは、どうして、『ラーメン博物館』を手掛けられるようになったのですか?」 「館長の岩岡さんと共通の友達がいたので、それがきっかけです」(相羽さん)
館長の岩岡洋志さんは、昭和34年(1959年)生まれ、全国のご当地ラーメンを1カ所に集めた施設を新横浜に作り、全国各地にフードテーマパークが誕生するきっかけにもなったと言われる。
相羽さんは昭和28年(1953年)生まれ。 「東京タワーが出来たのが1958年、新幹線が走り始めたのが1964年、あの頃から新しい東京がはじまっていったのですね。ですから、それ以前の東京を再現させるのが、東京の昭和のラーメンのイメージに合うと思って、そうしました。夕焼けも40分で変わっていくんです」(相羽さん)
「入場して、地下へ降りてゆくと、昔の懐かしい東京・下町がある。私は下町っ子だったから、どれもがノスタルジーで、そこで、今流行りのラーメンを食べる。とても不思議な感覚です」 「そう、ノスタルジー、それです。私、迷路、洞窟大好きなんで、そんな感覚で作りました。出かけたことない方、ぜひとも足を運んでいただきたいです」(相羽さん)
● 山本益博(やまもと・ますひろ)
1948年、東京都生まれ。1972年早稲田大学卒業。卒論として書いた「桂文楽の世界」が『さよなら名人芸 桂文楽の世界』として出版され、評論家としての仕事をスタート。1982年『東京・味のグランプリ200』を出版し、以降、日本で初めての「料理評論家」として精力的に活動。著書に『グルマン』『山本益博のダイブル 東京横浜&近郊96-2001』『至福のすし 「すきやばし次郎」の職人芸術』『エル・ブリ 想像もつかない味』他多数。料理人とのコラボによるイヴェントも数多く企画。レストランの催事、食品の商品開発の仕事にも携わる。2001年には、フランス政府より、農事功労勲章(メリット・アグリコル)シュヴァリエを受勲。2014年には、農事功労章オフィシエを受勲。
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文・写真/山本益博 編集/森本 泉(Web LEON)