【ハウルの動く城】細田守監督のジブリデビュー作になる予定だった。なぜ宮崎駿監督に代わったのか?
スタジオジブリの代表作の一つ『ハウルの動く城』が、1月10日午後9時から日テレ系の「金曜ロードショー」で放送。 【画像を見る】かつて東宝公式サイトに掲載されていた細田版『ハウル』の告知。3つの尖塔を持つ城が描かれている 宮崎駿監督の作品として広く知られる2004年のファンタジー映画ですが、実はもともと別の人が監督を務める予定だったことはご存じでしょうか? その人の名前は細田守。『時をかける少女』『サマーウォーズ』など数多くの作品で知られるアニメ映画監督ですが、2000年ごろにスタジオジブリに出向していました。『ハウル』の監督として招聘されて制作を進めていたものの企画は頓挫。その後、宮崎監督が仕切り直すことになりました。 一体何があったのか。関係者の証言から追ってみましょう。(安藤健二/BuzzFeed Japan)
念願のジブリに出向した細田さん。「人々の価値観を転覆させる面白いものになるはず」と自信を見せていた
細田さんは東映アニメーション出身ですが、東映入社前の1991年にはスタジオジブリの研修生採用試験を受けているほど、ジブリへの思い入れは強かったそうです。 しかし、結果は不合格。氷川竜介さんの著書『細田守の世界』(祥伝社)によると、このとき細田さんは宮崎監督から「君のような人間を入れると、かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた」という趣旨の手紙を宮崎監督からもらっていたそうです。 その後、細田さんは東映で『劇場版デジモンアドベンチャー』(1999年)で初監督を手掛けるなど気鋭の演出家として頭角を現していきました。 一方、スタジオジブリでは2000年ごろ、ダイアナ・ウィン・ジョーンズさんのファンタジー小説『魔法使いハウルと火の悪魔』のアニメ映画化を宮崎監督が提案していました。自分自身は『千と千尋の神隠し』の作業で忙しい時期だったことあり、別の監督を立てる予定でした。 そこで宮崎監督の右腕である鈴木敏夫プロデューサーが、細田さんに監督就任を打診したところ、「ぜひやってみたい」と快諾。スタジオジブリに出向してもらい、具体的に企画を進めていったそうです。 2000年12月に発売された週刊誌『SPA!』2001年1月3日・10日合併号(扶桑社)には、21世紀カルチャーの重要人物100人を取り上げる特集の1人に細田さんが登場しました。 この記事の中で細田さんは「ジブリかどうかはあまり関係ない。長編をやれるというので、お引き受けしました」とクールにコメント。ジブリの看板を背負うことに気負いはないのか聞かれると「ありませんね」と否定しました。 「逆に観客のジブリ・ブランドへのイメージを裏切るものになるかも。うまく行けば、人々の価値観を転覆させる面白いものになるはずです」と自信を見せていました。 この記事の時点では「新作映画が2002年に公開される」としか記載がなく映画のタイトルも明かされていなかったのですが、翌2001年12月には東宝が公式サイトで新作のラインナップを更新しました。ここで、『ハウルの動く城』の作品名で「監督:細田 守」「2003年陽春公開」と正式発表されました。