<侍JAPANの井端監督も>「みるみるうちに痩せていく」「入学式前に1/4以上が辞める」…二人の大物OBが振り返る「日本一厳しい亜細亜大野球部」での「プロになれた分岐点」
「部訓」と「野球部教旨」
日本一厳しい野球部と称されてきた亜細亜大学。常軌を逸した練習メニュー、耳を疑いたくなるような寮生活。「地獄」と振り返るOBもいるが、そこを生き抜いた阿波野秀幸氏、与田剛氏が当時を振り返る。 【マンガ】PL学園・野球部の「ヤバすぎる3年間」で僕が学んだこと 前回記事「侍ジャパン・井端監督も出身!「地獄、刑務所と表現したOBも」…阿波野秀幸氏と与田剛氏が振り返る「日本一厳しい」《亜細亜大学野球部》での「想像を絶した日々」』」から続く。 阿波野 入学前の2月の第一週くらいに入寮。各学年1人ずつの4人部屋が基本で、1年生は4年生、3年生の身の回りのことから洗濯、買い物、道具の手入れなど、すべてのお世話をするから、まず2年生にルールをいろいろと教わる。それと「部訓」と「野球部教旨」の暗記。これは今も野球部に残っているけど、やめたあとでも言えるよな。 与田 言えます。これを覚えるのが本当に大変でしたから。手帳に書いて、寮にいるときは常に携帯して空き時間にブツブツ言いながら覚えた。トイレでも手帳を開いていましたよ。 阿波野 2年生には「部訓と野球部教旨、挨拶と返事。これだけはちゃんとやれ」とよく言われた。 与田 部訓と野球部教旨は毎朝、朝礼で1年生の誰かが指名されて言わないといけないんですよね。 阿波野 一語一句、間違えられない。間違えたら最初からやり直し。それが2、3回続くと先輩によっては“指導”を受ける「集合」になる。あれが朝起きて、最初のプレッシャーだよな。 与田 朝礼は1、2年生全員が揃って整列すると、2年生のマネジャーが4年生のマネジャーを部屋に起こしに行って、いらっしゃると「おはよう」と呼びかけられて、「おはようございます!」と頭を下げる。 阿波野 だいたい、そのとき目が合った人が指名されていたと思う。だから、なるべくゆっくり頭を上げていた。でも、たまに大丈夫かなと思ってパッと上げたら目が合うときもあるんだよ。 与田 逆に目を背けたら指される、ずっと見ていたら意外と指されなかったりしたマネジャーさんもいたと思います。 阿波野 そっちのパターンか。部訓は5つしかないので覚えられるけど、間違えるのは野球部教旨だよね。 与田 はい。 阿波野 後半に間違えるんだよな。間違えや噛んだりしたのは自分でわかるから、「もう1回失礼します!部訓1つ」ってところからやり直す。3回くらい言えないと「おい、部屋の2年、誰だ!」となって、その2年生が出てきて横に立って代わりに言ってくれて終わる。優しい先輩なら「次は頼むぞ」と言ってくれるけど、一日中、憂鬱な気分で過ごすことになる。 与田 練習が終わって寮に戻ってきて黒板を見るのが怖いですよね。
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