英語教師の職を捨て“憧れのタクシードライバー”になった同僚の話【タクシードライバー哀愁の日々】
【タクシードライバー哀愁の日々】#23 ある日、仕事を終えて営業所に戻り、売上金のチェックをしていたときのこと。事務所で大きな声が響いた。 「ライドシェア」サービス開始に不安の声《乗ったらいきなり知らない場所に》《酒に酔ったお客さんの汚物で車が汚されたら》 「今日は25日だから、給料は振り込まれていますよね」 事務職員にそう尋ねる声の主は40代前半の同僚だ。時間は午前1時。たしかに給料日の25日であることは間違いないが、朝の9時を待てずにこんな質問をするのは尋常ではない。私自身も、給料日を忘れてしまえるほど余裕のある暮らしはしていないが、一分一秒も待てないほどお金に困っているわけではない。けれども、振込時間を確認する同僚の声には、ただならぬ切迫感が漂っていた。そんな同僚の態度とは裏腹に、事務職員の答えは冷たかった。 「オレ、銀行員じゃねえからわかんねぇ」 給料が25日の何時に振り込まれるのか、私自身も知らなかったが、この同僚にとっては大きな問題のようだ。それほど親しい間柄ではなかったから、彼がどんな暮らしをしているのかは知らない。家族がお金を今か今かと待っているのかもしれないし、一刻も早く返済しなければならないお金があるのかもしれない。あるいは現金をもって、賭けマージャンに出かけようとしているのかもしれない。同僚のなかにはギャンブルの借金や闇金の借金返済で四苦八苦している人間もいたから、彼もそのタイプだったのだろうか。 ■あるとき、その語学力がアダとなった 家業を手伝っていたころ、私のまわりには経済的にこんな“綱渡り生活”を送っている人はいなかった。タクシードライバーになってはじめて、そういうタイプの人に遭遇した。その意味では、お客との出会いを含めてさまざまな人間模様に触れることができたということも事実だ。社会勉強の機会を得られたことは間違いない。 ほとんどのタクシードライバーが「デモシカ」でこの職業に就くなか、タクシードライバーに憧れて入社してきたという珍しい同僚もいた。前職はなんと高校教師。50歳で転職してきた。「子供のころからの夢。多くの人に出会って、世間のことを知りたいし、運転が好き」とすがすがしい表情で話していた。私を含めて多くの同僚は「もったいない。なにが悲しくてこの仕事に」という思いだったはずだ。そんな彼だが、思わぬところで「前職」がアダになってしまったことがある。彼の話はこうだ。 ある日の午後のこと。浅草で3人の若い外国人女性客を乗せ、六本木方面に走らせていた。3人は車内で楽しげに話し込んでいる。途中、「原宿の竹下通りで楽しみたいがどの店に行ったらいいかわからない」という声が聞こえてきた。彼女たちが話すのは英語だ。会社の業務規則では、ドライバーからお客に話しかけるのは原則禁止なのだが、彼は親切心から思わず「○○が人気でおすすめですよ」と英語で割り込んでしまった。その途端、車内は凍りついたようにシーンとなってしまったという。彼にしてみれば「オー、サンキュー」くらいの反応を期待していたのだろう。 だが、お客の反応はまったく逆。それから誰も何も言わなくなったという。目的地の六本木まで気まずい空気が流れ続けていたという。「出しゃばりはダメでした。英語が話せることを鼻にかけているとでも思われたのかも」と彼は悲しげな面持ちだった。そのお客たちは、まさかタクシードライバーに英語のわかる人がいるとは思わなかったのだろう。プライベートな話が筒抜けになって困惑したのかもしれない。 「芸は身を助ける」とはいうが、ときに「芸はアダとなる」こともあるらしい。 (内田正治/タクシードライバー)