二つと無い音楽を浴びる幸せ。好きなものを語るのに躊躇はいらない【堀井美香|私をつくる、ひとり時間】
2022年、長年在籍していたTBSを50歳で退職し、現在はフリーランスのアナウンサーとして活躍中の堀井美香さん。ますます活動の幅を広げ、自分の想いに素直に、そしてしなやかにセカンドステージへと歩を進めはじめた堀井さんが語る「ひとり時間の持てた今だから味わえるひととき」を隔月でお届けします。 写真はこちらから→二つと無い音楽を浴びる幸せ。好きなものを語るのに躊躇はいらない【堀井美香|私をつくる、ひとり時間】
【私をつくる、ひとり時間】第7回 私にブレーキをかける唯一のもの。オーケストラコンサートを演出
文・堀井美香 初めて人の手に見とれたのは、教科書で見た高村光太郎の彫刻だったと思う。その手はしなやかに反りかえり、何かを指さすように上へと向かっていた。未来に対する意志の表れのような、それでいて細く美しい指だった。大人になると土門拳の写真展で、手ばかりを写した作品に心惹かれた。職人や著名人の圧倒的な存在感を放つ手。どの手も成熟していたがそれでもまだ何かを掴み取ろうとするエネルギーがあった。 そうやっていつからか私は人の手を眺めるのが好きになった。表情のある指先、刻み込まれた皺。全てがその人を物語っている。そして、何より、実直に何かを積み上げてきた人の、無骨な手を尊く思った。本物と言われる人の手、醸した人の手。ただ一つのことをやりこんできた人の手に惹かれ、じっと見つめる癖がついた。
手を見ればわかる。ステージに立つ「極め人」たち
一つのことを極めた人を尊敬している。名を挙げた、事を成した、そんなことはどうでも良い。全てはその人が向き合ってきた時間。その蓄積だけが極めたことの証明だと思っている。ニーチェは「その道はどこに行き着くのか問うてはならない。ひたすら進め」と言った。しかし、脇目も振らず、進み続けることがどれほど難しいことか。すぐに結果を求めるわけでも、光を探し出そうとするわけでもない。ただ自分を信じ続けることなど、覚悟なしにはできないのだ。渡り鳥のように訪れる場所場所で仕事をこなし、次々と現れる目の前の課題をさばき、表層だけを掬い取ってきたような、堪え性のない自分にはよくわかる。その生き方は渇望でもあったから。 以前、担当する番組でなぜクラシックが好きなのか、オーケストラの演奏会に行くのかを聞かれたことがある。答えは明確だ。私はステージに立つ極め人たちを見るのが好きなのだ。あの舞台に辿り着くまでにどれほどの努力を積み重ねてきたのだろう。どれほどの自由を捨ててきたのだろう。それらと引き換えに手に入れた技の凄み。その職人たちが生み出す音。80人の奏者たち、それぞれが職人ゆえに、きっと同じ曲を弾いても、解釈は違う。楽譜の読みとり、音の微妙な出し方、言葉を発するよりも音色は多様になる。それを指揮者が航路を引き、呼応させながら導いていく。悲しみ喜び怒り、表現に精神を宿らせる。そしてコンサートマスターの動きに皆の体が合わさる。弓を持つ手が一体となる。呼吸が重なる。そうやってできた熟成された音の集合体は、薄っぺらな自分の体を容易に突き刺す。 思うことはいつも同じだ。やはり彼らは、自分とは違う。極め人だ。ほら、手を見ればわかる。あの動き、あの形相。本物は一夕一朝では作れない。そうやって私はステージという高みに登りつめた演奏者に心の中でひざまずくのである。